何の取りえもない人は小さくなって生きるほかないのか。
内村鑑三の著書に『後世への最大遺物』という本があります。人がこの世で生きた結果、何を後世に残せるかという問題を、古今の実例を紹介しながら国民一般に語り掛けたものです。その中で例として挙げているのは、お金をもうけて残すこと、事業を興して残すこと、著述物を書いて残すこと、いずれも多大の価値あることであるとしながら、それは誰にでもできることではない、また、時に害をなすものもあるというわけです。
よって、最大遺物は、誰にでも残すことができるものであり、益ばかりで害がないというものでなければならないというのです。そんなものはあるのか、もちろん“ある”、それは「勇ましく高尚な生涯」である、この世は決して悪魔が支配する世の中ではなくして、神が支配する世の中であることを信じること、失望の世の中ではなく、希望の世の中であることを信じることだというのです。
信じるだけでなく、その生涯で実行して、その生涯をこの世への贈り物としてこの世を去るということです。これは誰でも残すことのできる遺物だというのです。
仮に彼の考えが正しいとすれば、何の取りえもない人でも後世に良い生き方、立派な生き方を残せるわけで、存在意味の大きい生涯ですから、大手を振って生きることができるわけです。決して卑下したり、小さくなる必要はありません。
しかし結局は、人の生涯の価値は世人が決めるものではありません。世評は風のように揺れ動くものです。そうではなく、人の生涯は、人を造った神がその造った目的に照らして判定するものです。自分では小さいと思っても、もし、神を信じ、神の教えに従って雄々しく生きる生涯を残していけば、大きな、大きな意味があるのです。神を信じて、堂々と生きましょう。
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