クリスチャンになっても、事故、事件、病気など災いはやってくる。神は信じる者をどうして守ってくれないのか。
キリスト信仰は、現世ご利益ではないと最初から言ってきました。現世はあくまで来世、永遠のいのちへ行くための準備の期間です。ですから、そこは居心地よく楽しく過ごすことが第一の課題、あるいは人生の目的ではありません。そこではさまざまな人生が展開されるでしょうが、どんな人生になろうと神を愛して歩むこと、神が遣わしたキリストを信じて歩むことが大切です。
事故、事件、病気などの災いは、苦悩や困難をもたらします。しかし、苦しみ、悩み、困難だけで終わるものではありません。その人を訓練します。それを乗り越える過程で、自分のよくない点、問題点などにも気付かされ、それを直していくことができます。人間を謙虚にします。忍耐力が養われます。その他人間性が成長します。「艱難汝を玉にする」とのことわざもあるではありませんか。困難、苦難は信徒を成長させ、キリストにふさわしい者へと磨きあげてくれます。
患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5:3、4)
信徒といえども、ともすればこの世を愛して、せっかくできた“準備”を水の泡にしてしまいがち。この世に安住して、永遠のいのちを忘れがち。そんな信徒を本来の天国への道に戻してくれるのも、災難、苦難、困難などの役目の1つです。
患難、災い、苦悩は、信仰を強めてくれ、しっかりと希望に生きるようにしてくれます。苦しさに負けずに、キリストにある目標を目指して走り続けようではありませんか。
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