人は死んだらどうなるのか。死後の世界はどんなものか。
昔からかなりの人々が「死んだら無になる」と漠然と考えてきました。しかし、それはどこに根拠があるのでしょうか。肉体は崩れ、小さく小さく分解して結局元素にまで分解するのですが、その分解により魂まで機能停止し、霧消してしまうと考えるようです(この考えは今でも多数派ではありません)。他方で、日本では中国仏教の影響で、魂は死後も意識を持って肉体を離れ、ある所に集められてその後の運命があると信じられてきました。
仏教の十王経は道教と習合したものですが、死後の冥府で閻魔大王が罪人を審判するとの十王信仰を盛んにしました。日本人は、仏教説話などによりこの十王信仰に強く影響され、死後(の魂)は冥界をさまよっているように考えます。それは非常に暗い、寂しい、つらい死後観であるといえましょう。
鎌倉時代の天台宗の僧・源信は『往生要集』を著し、凄惨な地獄世界と阿弥陀による浄土世界を詳述し、1つの死後観を鮮やかに提示しました。
織田信長は諸大名を前にして、イエズス会宣教師たちに「天国と地獄を見せてくれたらなあ」と聞こえよがしに語ったそうですが、それを聞いたロレンソは前に進み出て「殿!お見せできます。そのためにはまず、お腹を召してください」と言上したのだそうです。つまり、死んだら分かる、と答えたわけです。すると信長は「ロレンソ!分かった。天国と地獄はあるとしよう」と述べたそうです。
それより3千年前の昔から、旧約聖書では死後魂の行き先として黄泉(よみ)を示してきました。また、2千年前の新約聖書は、現世の生き方いかんによる死後生(来世)のありさまを示しております。すなわち、肉体はちり(小さい物質)に返り、魂は、義人のためにはパラダイスと天国、悪人のためにはハデスとゲヘナ(地獄)が用意されている、というものです。このありさまを表にしておきます。
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