神を信じない人でも正しい人がいる。人は神と関係なく生きてもいい。
人の心の中には、エゴや欲をはじめ、汚いもの、悪いもの、ずるいものなどなど実にさまざまなものが押し合いへし合いして存在しています。それをうまくコントロールできる人と、そうはできずに表情や言動に飛び出してくる人がいて、うまくコントロールできる人は正しい人のように見られます。
つまり、正しいと見える人も、その心の内実はやはり汚いもの・悪いものなどがないとはいえません。正しい人と思われていた人たちの思いがけない告白を聞く機会があれば、彼らも人間であってやはり罪人であることがよく分かります。
仮に、心の芯まで清い人がいたとしましょう。それは評価すべきですが、ただし、少なくとも一点問題があります。それは、自分の造り主であり、いのちを与え、さまざまな恵みを与えてくれている方、天地の主である神を認めないこと、その神から遠ざかって生きているということ、この一点です。
その点は、神から見れば大きな大きな問題なのです。この人は、人間の前では正しいとされても、神の前では正しいとされないのです。「神と関係なく生きる」と表明する点において、神の前で罪人となる決意ですから、その通り生きれば神の裁きを免れないでしょう。
「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ」(Ⅰコリント16:22)
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