神は愛の神なのにどうして地獄を造ったのか。
神は、その基本的属性が“聖(≑義)”と“愛”であるということができますが、その中でも“聖性”が最も基礎的な属性だといえます。その聖性のゆえに、神は不義なるもの、罪・汚れ・悪なるものを受け入れることがないし、それらを持った存在は聖なる神に近づくことができないのです。
その一方で、神は、御子を地上に送り、人類の罪の身代わりとして十字架の刑につけて罪を赦(ゆる)すこととされ、信じる者を神の子とする道を開いてくださいました。神が愛なることを示したのです。
そんなまわりくどい道を取らず、罪をそのまま赦すという方法もあったと思いますが、神は上述の聖性のゆえに罪をそのままにしたり、罪人をそのまま受け入れることはされなかったのです。そして、神に敵対し、正義を無視した悪人を(すぐに無に返すこともできたが)1カ所に集めて、その生き方に責任を取らせることとされたようです。それがすなわち、ゲヘナ(地獄)です。
ミルトンの楽園喪失(失楽園)によれば、天地の創造以前に天上で、御使いたちのうちのサタンが「リーダーになりたい」との野望にとらわれ、全御使いの3分の1ほどの同士と共に神に反逆して戦いとなり、敗れたサタン軍は天上界から追い落とされました。このサタン軍のために、神は混沌世界の底の一角に閉じ込める所を設けましたが、これが地獄だとしています。ユニークな見方です。
その正否を断定することはできませんが、要するに、神の愛に基づく救い(福音)をあくまで拒み、逆らう存在は、神の聖性によってはじき出され、御国の外に追い出されるほかないわけです。そこがすなわち地獄です。
人間の心情はどうであれ、神は、その聖性に相反する者は受け入れることをしません。神がせっかく「罪の人間をなんとか救ってやろう」との格別の愛に基づき、大きな犠牲を払って設けてくださった福音の道を拒むなら、“聖性”の原則に戻らざるを得ません。その行き着く先が地獄なのです。
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