ざんげは神父様にしなければならないのか。
「ざんげ」と言おうと「告白」と言おうと「悔い改め」と言おうと、それらは、神に対して罪を犯したことを悔い、「二度としない」という決心をすることをいいます。神に対してすることであって、第一次的には、人に対してすることではありません。ですから、神父と呼ぼうと、牧師と呼ぼうと、教職者に対してする必要はありません。してもかまいませんが。
大事なことは、神父も牧師も人間と神の間に立って罪の赦(ゆる)しを宣告できる立場にはなく、資格もないということです。「償い」を命じることもできません。信徒はみな祭司と同じ立場にあり、直接、神とキリストの前に出ることができるのです。これを万人祭司の原則といいます。宗教改革で確認されたものです。
聖書では、罪を犯したアカンに「わが子よ。・・・主に告白しなさい」(ヨシュア7:19)と示されていますし、ダビデは「私のそむきの罪を主に告白しよう」(詩篇32:5)と述べています。ざんげ、告白、悔い改めは、神(主)に対して、真実にすることが大切です。
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