青山繁晴氏が、キリストの復活を100パーセント確信していること、それにもかかわらずキリスト教とならないのは、キリスト教の幾つかの教理がご自身の信条と合わないからであるとおっしゃっていたことを、前回まで紹介しました。その中でも一番の理由は、人の造られた目的が、神の栄光を現すためであるというキリスト教の根幹的な教えに相いれないものを感じるためだとのことでした。
■ 教理の概要
これは、ウエストミンスター小教理問答書の一番最初に出てくる内容です。もう一度、確認しておきます。
Q. 人のおもな目的は、何ですか。
A. 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。
まず前提として、青山さんは、この教えがキリスト教の根幹であるとおっしゃられましたが、果たしてそうなのかという点を考えてみなければなりません。この教えがうたわれているウエストミンスター小教理問答についての概要は以下の通りです。
ウェストミンスター小教理問答は、1640年代にイングランドとスコットランドの神学者によって書かれた小教理問答である。ウェストミンスター会議は、この教理問答と、ウェストミンスター信仰告白、ウェストミンスター大教理問答を作成した。これらの3文書は、プロテスタントの偉大な教理の宣言であるとみなされている。(ウィキペディアより引用)
この教理は、1640年に作成されたものだということは、裏を返せば、それ以前には存在しなかったものということになります。またこの教理は、イギリス国教会のため作成された教理ですから、ローマ・カトリックや正教会においては表現が異なるでしょうし、プロテスタント教会の中でも、すべての教会が批准しているわけではありません。
■ 聖書と教理
では、キリスト教は教会ごとにばらばらのことを教えるのかと言われるとそうではなく、どの教会も共通して大切にしている正典(カノン)があります。それが聖書です。ですから基本的には、聖書さえあれば、教理を作らなくてもよいのですが、ご存じのように聖書は分厚く、初めて教会に来る人が、すぐに読破してその教えを理解するのが難しいために、また人々が曲解してしまうことを避けるために、神学者たちが聖書の教えの中核的な部分を要約し、人々に理解しやすいように簡潔に明文化したのが教理なのです。ですから教理を習えば、多くの人はキリスト教の大筋を理解できるので、非常に有用なわけです。しかし同時に、教理には弱点もあります。
まず第一に、教理はそれを作った神学者たちの理解度や霊性の域を出ることができません。彼らが体験し、理解した聖書を明文化するので、それがどれほど優れた神学者であるとしても、そこにはおのずと限界があります。時代の風潮や言語学上の新しい発見が聖書理解に影響を与えることもありますので、時代とともに教理は変容する可能性があります。例えばつい先日、本紙において「死刑に全面反対 教皇、『カトリック教会のカテキズム』の改訂を承認」というニュースが掲載されていました。教理「カテキズム」は改訂され得るのです。
例えて言うと、聖書は無限に湧く井戸や泉の源泉のようなものであり、教理とはそれを「ろ過」し、飲みやすく浄化されたコップの水のようなものです。コップの水から飲む方が飲みやすく便利な半面、大切なミネラルが失われてしまったり、長い時間とともに変容していく可能性があるということです。
誤解をしていただきたくないのですが、1640年以前にはこの教理は存在しなかったと書きましたが、それは聖書にない教えが人為的に作られたという意味ではありません。神学者たちが教理を作るときには、聖書を基に作ります。一行一行にびっしりと参照聖句が明記されていますので、基本的には正しいわけです。しかしそれでも、誤謬(ごびゅう)がないわけではなく、一つ一つの教えの優先順位や関連性、どれが中心的な教えかについては、教会ごと、神学者ごとに見解の相違があり得るということです。こういう特性を理解した上で、聖書と教理の両方を学んでいくことが大切になってきます。
■ 神中心
またこの教理の一番最初の問いが、「人のおもな目的は、何ですか」というように、「人」から始まっている点にも注意を払うべきです。実は聖書の重要な教えは、モーセの十戒にしても、主の祈りにしても、キリストが一番大切だとした教え「シェマー・イスラエル(聞け、イスラエル)」にしても、人に対するものではなく、神様ご自身に対することから始まります。
- モーセの十戒 :あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出エジプト記20:3)
- 主の祈り :天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。(マタイ6:9)
- 一番大切な教え :イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け(シェマー・イスラエル)。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』」(マルコ12:29、30、申命記6:4、5)
キリスト教の重要な教えは、人に対するものではなく、すべて例外なく神に対するものから始まります。そして、その次に人に対するものへと続きます。
次にはこれです。「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません」(マルコ12:31)
■ 愛の教え
そして聖書が教える神とは、愛なるお方であり(1ヨハネ4:8)、無条件で一方的に、親が子を愛するように私たちを愛しているというのが聖書の根幹的なメッセージなのです。青山さんは、キリスト教の根幹的な教えが「人の造られた目的が、神の栄光を現すためである」と言われますが、私は幼い頃から教会に通い、多くの教会のメッセージを聞いてきましたが、圧倒的に「愛」のメッセージが多く語られています。
これは私個人の私的な感覚ではありません。これまたタイミング良く、つい先日本紙において「聖書検索サイト「バイブル・ゲートウェイ」が25周年 検索単語と人気聖句トップ10を発表」というニュースが配信されていました。この「バイブル・ゲートウェイ」というのは、世界中の約70言語で、200種類以上の訳の聖書を提供しているインターネットサイトで、閲覧数はこの四半世紀で140億を超えているそうです。つまり世界中のクリスチャンが興味を持ち、共感している聖書の検索単語と人気聖句がビックデータによって初めて明らかになったのです。
検索語の1位は:love(愛)であり、2位:peace(平和・平安)3位:faith(信仰)4位:hope(希望)5位:joy(喜び)・・・と続きます。そして人気聖句の1位は:ヨハネによる福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」というものでした。そして2位以下にも1度は聞いたことのある有名な聖句がエントリーしています。
しかし検索語、聖句のどちらにも、「栄光」とか「人の造られた目的が、神の栄光を現すためである」というような内容を示唆するものはランクインしていません。もちろん人気ランキングで教理が決められるわけではありませんが、キリスト教会において実質的に「愛」のメッセージが中心的なものとして語られていることは間違いありません。
以上の点を踏まえて、あえてこの教理の理解を助けるために改訂するとしたら、こうなります。
Q. 神とは何ですか。
A. 神は愛です。Q. 神が人を造った目的は、何ですか。
A. 人を愛するためです。Q. 人のおもな目的は、何ですか。
A. 神の愛を受け、神を愛し、また同様に隣人を愛することです。
そして、このこと(神を愛し、また同様に隣人を愛すること)が、神の栄光を現すことと同義なのです。
「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」という教理は、聖書的なものであり、多くのキリスト者が共感を覚えている教えであることは間違いありません。しかし、この教理だけが一人歩きしてしまうと、敏感な方はそこに相いれないものを感じてしまうのです。
次回、また別の角度から、最終的な結論を書かせていただきます。そしてできれば、青山さんが感じていらっしゃる違和感を解消できればと思います。そして、それが同時に読者の皆様の聖書理解や教理理解の一助にもなることを期待します。
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