聖書の人間観
興味深い本書に対する応答の3回目として、第5回講義、第6回講義に焦点を絞ります。
第5回講義:道徳の階層を分類してみよう
第6回講義:道徳エンジンをロボットに搭載してみよう
第5回講義においては、「道徳」と「欲」と一見対立するかに見えるものを統合する「人間の行動の基」となる心の作用に注目し、道徳の階層構造を提示しています。
ロボットに搭載すべき道徳エンジンは、いかなるものであるべきか。私たちにとっては思いがけない目的に向かい思索を続けるのです。そのことによって「ロボットの振り見て、我が振り直せ」(163ページ)と言えるほどの心の寛容性と多様性を鄭先生は提示なさっています。
第6回講義において、音声感情認識を基にした「道徳次元の計測装置」が作成中との報告がなされています。新しい視野からの思索の深まりと計測装置の道具立ての組み合わせを、私は興味深く受け取りました。
新書版で、まったく他分野の私にとっても通読可能な本書は、終始私に聖書の人間観の基本再考(市川康則著『改革派教義学 第3巻 人間論』一麦出版社、2012年)を問い掛けてきたのです。今の時点で、2つの点に限り報告致します。
第一は、聖書を貫く創造者なる神と人間の関係です。万物の創造者なる唯一の神が、他の被造物と類似性を持ちながら、「神のかたち」として明確に区別して創造された人間・私。ですから、神から離れて人間を正しく深く豊かに理解することができないと同様に、人間から離れて神を知ることもできない。人間とロボットの関係と、創造者なる神と被造物・人間の関係の区別を越えて、なお類似性をも認めざるを得ないのです。
第二は、聖書に一貫する、神と人間のことばに基づく契約関係です。ことばが事実となり、事実に基づくことばにより、神と人間の出会いと対話が成り立っています。
人間存在の時と空間の広がりの中での多様多彩な展開。その歴史的事実を直視し、受け止め続ける必要性は、どれほど強調しても強調し過ぎることがないのは確かです。
にもかかわらず、上記の2点、つまり人間が人間であり、私が私である素朴な事実への固着の思いを深めました。人間とロボットとの関係を主題とする本書が、励ましを与えてくれたのです。歴史や社会における分断やイズムによる亀裂の中を、私になお歩み続けるようにと。これは予想外の喜びでした。
■ 鄭雄一著『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』(扶桑社、2018年5月)
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