長崎の原爆によって壊滅した長崎市浦上地区にまつわる人々を取り上げた『生き抜け、その日のために―長崎の被差別部落とキリシタン』(解放出版社)を2年前に出版した作家の高山文彦さんが26日、東京・練馬区役所で講演した。190人の市民が、50分間の講演に耳を傾けた。
講演で高山さんは、浦上で被差別部落が生まれた歴史的経緯に触れつつ、浦上地区の被差別的な風土が長い年月をかけて醸成されていった背景を説明した。
浦上地区には、古くから弾圧を受けてきたカトリック信者と、被差別部落の人々が暮らしていた。両者は江戸時代から隣り合う土地に住み、時の権力者によって、監視する側とされる側という対立状態に長く置かれていた。
被差別部落の祖先も、江戸時代の初めまではキリシタンだった。しかし、キリシタンが弾圧される時代になると、被差別部落の人々は仏教に改宗した。やがて、一部の人々は長崎奉行所のキリシタン取り締まりにも関わるようになった。
大浦天主堂で浦上地区の十数人が潜伏キリシタンであることを明らかにした「信徒発見」からわずか2年後の1867(慶応3)年、秘密の教会で祈りをささげていたキリシタンたちが長崎奉行所に捕らえられた。その後、明治新政府によって出された禁教令で一村総流罪とされた大規模なキリシタン弾圧事件「浦上四番崩れ」だ。そこにも、被差別部落の人々が動員された。両者の対立関係は、決定的なものとなった。
原爆の投下によって、浦上町と呼ばれていた被差別部落は消滅し、生き残った人々も各地へ離散した。両者は和解することなく今日に至っている。
高山さんは、スペイン出身で後に日本へ帰化したイエズス会の結城了吾(ディエゴ・パチェコ)神父(1922~2008)や被差別部落出身の磯本恒信らが推進した両部落の歴史的和解に向けた動きを紹介し、「若い人たちが継いでくれると大きな期待を寄せている」と語った。
講演後の質疑応答の時間には、両部落の歴史的和解につながる取り組みについて会場から質問が寄せられ、高山さんは、「問題をみんなで共有するところから始めるしかない。むしろカトリックの側から、もっと声を上げてほしい」と話した。