By Dr. K. Kinoshita(木下和好)
YouCanSpeak 開発者・同時通訳者
元NHK TV・ラジオ 英語教授
<外国船に心を惹かれていた>
長崎港の近くで生まれ育った父の影響で、私も物心つく頃から外国船に憧れの気持ちを抱いていた。世界遺産に登録された三保の松原が遊び場だった私は、駿河湾を往来する外国船を浜辺に寝そべって見つめることが多かった。特に清水港から海外のどこかに向かって水平線に消えていく船に、気持ちが引き寄せられた。それがきっかけで小6から独学で英会話の学びを始め、また中1で米国人宣教師に出会い、本場の生の英語の習得に励んだ。
小学校5年の時、父の転職に伴い、三保の松原から清水港に近い場所に引っ越した。三保の松原からは、何百メートル、あるいは何キロも離れた所を航行する外国船を眺めていたが、清水港に行くと、手の届く所に外国船が停泊していて、見るだけで心の高まりを覚えた。
<友達5~6人と清水港で外国船に潜入>
それで、私はよく1人で清水港まで歩いていき、外国船を眺め、船員たちの様子を観察し、彼らはここからどこに向かっていくのだろうと思いながら、その雰囲気を楽しんだ。外国船に興味を抱いていたのは私だけではなかったようだ。中学2~3年だったある日、友達5~6人と放課後遊んでいたとき、誰が言い出したわけでもなかったが、港に足が向き、岸壁に沿って散策し始めた。
その日も外国の貨物船が停泊していた。見上げると、数人の船員が甲板で仕事をしていた。早速大きな声で船員に英語で話し掛けると、その内の1人が手を大きく振り、階段を上がってくるようにと合図した。それで私たち中学生は興奮して一気に駆け上がり、船に乗り込んだ。
船員たちはレコードで学んだ英語、あるいは米国人宣教師の英語とは少し違う英語を話していたような気がする。すなわち発音にかなりの特徴があった。でも、私にとって彼らの出身国はどうでもよかった。英語が通じること、そして外国船の中にいるという事実だけで、私の心はワクワクしていた。あえて「Where are you from?(どの国から来たのですか)」という質問はしなかった。
停泊していたのは貨物船だったので華やかさはなかったが、船員はエンジン室、寝室、食堂などいろいろな場所を見せてくれた。また、食堂では軽食みたいなものを食べさせてくれた。親切な船員がいるものだと感心した。手招きしてくれた船員だけでなく、他の船員たちも皆親切だった。私はなんだか世界旅行をしているような気分になり、時間がたつのを忘れてしまった。
よく考えると、大の大人が中学生を子ども扱いすることなく対等な立場で招き入れ、船内ツアーをしてくれることはある種異常なことではあった。でも何カ月も海を航行していると、同乗の船員以外の人との出会いが恋しくなり、誰でもよいから会話をしたいという気持ちが強かったのだろうと思う。
特に日本に寄港したときは、人を見かけても言葉が通じないケースが多いので、目の前に現れた人たちが頼りにならない中学生であっても、言葉が通じる人がそこにいれば、親しく会話をしたい気持ちになったのも当然だろう。
<下船と同時に税関に連行された>
船内に1時間いたのか、あるいは2時間いたのかよく覚えていないが、時間はあっという間にたち、いよいよ船員たちに別れを告げ、下船する時が来た。階段を降りようとすると、下に2~3人の大人が怖い顔をして私たちを待っていた。最初、彼らがどういう人たちなのか見当がつかなかったが、私たちは全員港の一角にある税関に連れて行かれた。
何が何だか分からなかったが、彼らが怒っていたことだけは確かだった。また、誰が私たちのことを密告したのかも分からなかった。おもむろに税関職員の1人が言った。「君たちは誰の許可を得て外国船の中に入ったのかね?君たちのしたことは密出国・密入国と同じなんだよ。外国船は日本の港に停泊していても、船内は外国と同じなんだよ」と。
どうやら私たちは無知の故に法律に触れることをしてしまったようだ。私は「招かれたので乗船した」と言ったものの、怖くてそれ以上何も言えなかった。
<怖くて船員と英語で話したことも黙っていた>
税関職員は続けて言った。「ところで君たち中学生は本当に船員と話をしたのかね。彼らは日本語が話せないはずだよ。君たちも英語が話せるわけではないだろうに」と。友達の1人が「木下が通訳してくれた」と小さな声で言ったが、税関職員はそれをたわごとのように無視し、無謀なことをした中学生たちだと言わんばかりに、私たちをにらみつけた。
私は、日本の中学生が英語を話せるはずがないと決めつけた税関職員の言葉にショックを受けたが、自分は英語が話せると主張したらもっと怒られると思い、黙っていた。税関職員は言いたいことだけ言い、数分で私たちを解放してくれた。
<注意で済んだので、良い思い出となった>
税関に連行されたときのショックは大きかったが、幸い罰則もなく、学校にも通報されることもなかったので、船内ツアーは有意義で楽しい思い出となった。
私は世界中を旅行したいという思いから英語を独学で学び始め、また、宣教師との出会いでレベルアップを図ってきたのだが、英語が話せると外国が自分の所まで来てくれることを実感し、私の世界旅行はその時すでに始まっていたような気がした。税関職員に怒られた後も、清水港によく出掛けていき、外国船を眺めたり、船員といろいろな話をした。ただ停泊中の外国船に許可なく乗り込むことは2度としなかった。
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