By Dr. K. Kinoshita(木下和好)
YouCanSpeak 開発者・同時通訳者
元NHK TV・ラジオ 英語教授
<外国人がほとんどいない環境>
中学生だった私は、英語をアメリカ人レベルに話すことに憧れ、実際その方向に向かって学びに励んでいた。それで私は、なるべく多くの英語を母国語とする人たちと出会うことを望んでいた。でも50~60年前の日本には、しかも静岡県清水市という東京から離れた場所には、宣教師以外のアメリカ人に出会う機会はほとんどなかった。
そんな環境の中で、アメリカ人でなくても英語を話す人と出会い、会話をしたいという思いはあった。でも、外国船の船員以外の外国人を見かけることはほとんどなかった。
<インド人青年との出会い>
そんなある日、インド人青年が寂しがっているという話を耳にした。彼は清水市の工場に研修生として働いているとのことだった。工場の従業員も周りの人たちもほとんど英語が話せないので、インド人青年は孤立していたようだ。彼が住んでいたアパートは私の家からさほど遠くなかった。誰が私をそこに連れて行ってくれたかはよく覚えていないが、アパートにはテレビも何も無く、貧乏な私の家よりも質素な感じで、それを見ただけでも彼の寂しさが伝わってきた。彼は、私が訪問したことがとてもうれしかったようで、いろいろなことを語り始めた。
彼の英語には、それまで聞いたことのないような訛があり、舌を丸めたまま英語を話すような感じだった。英語は彼の母国語ではなかったので、強い訛は母国語の影響だろうと察した。でも不思議なことに、彼の話す訛り英語は100パーセント理解できた。彼もまた、私の英語を100パーセント理解しているようだった。後にアメリカの大学院に留学したとき、インド人留学生が同じようなしゃべり方をしていたので、やはり舌を丸めたまま英語を話すのはインド人全体の特徴だったことが分かった。
<ほぼ対等に英語で会話が進んだ>
私は小学生の頃、「80日間世界一周」という映画を見て、世界中を旅してみたいという思いが強くなったが、その映画の中でインドが印象に強く残っていた。私にはインドに関する知識はほとんど無かったが、映画の場面だけは覚えていた。
それでインドからやって来た青年にいろいろなことを聞いてみたかった。インドは暑いので、皆皮膚が黒く日焼けしていると思っていたが、実は日焼けではなく、遺伝的にメラニン要素が多いことがその理由であることが分かった。それから数十年後に実際にインドに行ってみたが、やはり暑かった。秋に行ったにもかかわらず、また赤道直下ではないにもかかわらず、気温が摂氏43度に達し、具合が悪くなり1日中寝込んでしまったこともある。でもあの青年は Bangalore という高原地域の出身で、とても涼しいと言っていた。インドにそういう場所があるとは驚きだった。
でもうれしかったのは、世界旅行など夢のまた夢の話であったときに、世界の一部が私のそばまで来てくれたことだった。英語という世界共通語を介して、いろいろなことを話し合えたことは、私にとって大きな収穫となった。世界を旅するためには英語が話せることが必須であると思って小6から学び始めたわけだが、こんなに早く英語が話せることのありがたさを感じるとは、想像もしていなかった。
<ガーナ人青年との出会い>
インド人の青年と出会った後、今度はガーナ人の青年が寂しがっているという話が伝わってきた。私のアフリカの知識は浅く、「暗黒大陸」「シュバイツァー」「暑い」という概念以外あまりよく分からなかった。「ガーナ」という地名を聞いたとき、アフリカのどこにあるかも知らなかった。
でも、もう1つの世界が私の近くに来てくれたという思いがあり、早速ガーナの青年に会いに行った。どこかの宗教団体の寮に生活していたが、私は宗教のことは気にしないで、その青年に会った。彼も清水市のどこかの企業で研修生として働いていたようだ。
私は初めてアフリカ人の英語を耳にした。インド人青年は舌を丸めたまま英語を話していたが、ガーナ人青年の英語はもう少し聞きづらかった。ピョンピョン飛び跳ねるような英語で、最初は戸惑ったが、やがて彼の英語に慣れ、彼も私の英語をよく理解したので、話が弾むようになった。
彼はガーナの生活自体に関してはあまり話さなかったので、どんな国なのかはよく分からなかった。でも、ガーナの青年と話しているうちに、アフリカがそんなに遠い存在ではないという思いになった。また「暗黒大陸」ではなく、日本と同じように普通の生活が営まれていることも感じ取ることができた。そして、アフリカにも英語を話す人が大勢いることを知ったことは、私にとって大きな収穫だった。
後に「国会クリスマス晩さん会」で各国の駐日大使のあいさつを私が通訳するようになったが、ナイジェリア、ウガンダ、ルワンダ、ケニア、タンザニアなどのアフリカ大使たちの通訳をする度に、あのガーナの青年との出会いを思い出す。今はアフリカについてもっと知りたいという思いがある。
<なぜ中学生と対等に話したのだろうか>
よく考えてみると、インドの青年もガーナの青年も20歳を過ぎた成人で、私はまだ中学生、すなわち子どもだった。大抵の場合、大人は中学生と対等な立場で会話はしないだろう。会話をしたとしても、あくまでも年の差がある子どもに対して大人が語り掛ける雰囲気になるのではないかと思う。
でも、彼らは私が中学生であることに気付かなかったかのごとくに私に接してくれた(実際は会った時点で自己紹介したので、私の年齢は知っていたはず)。私が成熟していたわけではない。顔も精神年齢も中学生そのものだった。では、なぜ彼らは親友に話すときのような雰囲気で私と対等に話したのだろうか。
それは、言葉が通じないというフラストレーションの生活の中で、英語で話すチャンスに巡り合え、自分の内に秘めた思いを吐き出したかったからに違いない。誰かと身振り手振りで話をし、大まかな内容が通じたとしても、自分の本当の気持ちを伝えることができないのはつらいはずである。それで、話し相手が中学生であっても、年齢差に関係なく会話を楽しみたかったのだろう。
意思疎通には絶対的に言葉が必要だ。グローバル化した今、いろいろな国の人たちと心を通わせるためには、やはり世界共通語の英語スピーキング力が必須であると確信する。
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