「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ一5:16~18)
聖書は、すべてのことについて、常に神に感謝する人であるように教えている。私たちの多くは「そうできればいいな」と思っているが、実際に行うのは難しいこともまた知っている。なぜなら、感謝する理由をいつも見つけられるわけではないからだ。感謝する理由がないのに感謝しているように見せるのであれば、それは偽りでしかない。
では、神にいつも、心から感謝する方法はあるのだろうか。答えはイエスである。そのためには、日々感謝できるよう自分自身を「訓練」することが必要だ。
神は自分勝手?
前述の御言葉を読むと、神を、感謝する理由がないように感じるときでさえ、感謝をしてほしいと求める自己中心的な独裁者のように考えてしまうかもしれない。私たちは自分の日々の生活を見るとき、その中の問題に目を留め、痛みや満たされない思い、疲れを感じる。そして「今日はあまり良い日でなかったから、明日はより良い1日になるように」と願う。
こうした時、神に感謝することは面倒な作業のように感じるかもしれない。言い換えれば、神の善良を感謝することが重荷となるのだ。その善良さを私たちの人生の中に見いだすことができない。なぜなら、私たちは不愉快なものや出来事に囲まれているからだ。従って、神に感謝する気が起こらないのである。
しかし、神は私たちが苦しんでいる時に感謝することを強制する、自己中心的な独裁者ではないのだ。神は私たちの痛みに共感してくださり、私たちを慰め、励ます方であると、聖書は教えている。神は私たちに、神に対して感謝できるようになってほしいのだ。なぜなら、神はまことに感謝を受けるのにふさわしい方であるからだ。私たちがそうできないのは、私たちが自分自身にばかり目を向けているからだ。
ここでは、神に常に感謝できるようになるための3つのヒントを紹介しよう。
1. 神が与えてくださった祝福を数える
受けた祝福を数えることは、感謝の習慣を育む上で確実に役に立つ。神がすでにあなたの祈りに応えてくださっているか、祈りのリストを確認しよう。祈りのリストをまだ使ったことがないなら、使い始めてみよう。
またあなたは、神が自分のために何か良いことをしてくれた時を振り返ることができる。何か金銭的価値を伴うものを受け取っているわけではないかもしれないが、何か良いものを受けているはずだ。例えば、新しい友人ができたり、遠くに離れて暮らす両親にひさしぶりに会ったりすることだ。
2. 神が遠ざけてくださった災いを考える
次に、神があなたの人生に介入してくださらなかったら、経験したかもしれない災いについて考えてみよう。人生には、経験するには悲しく、残念なことがたくさんあるが、それらを経験しないで済んでいるのは、神がそれだけ素晴らしいからだ。
それはもしかしたら、自分には合わない悪い投資話や仕事だったかもしれない。あるいは、自分に深刻な危険をもたらしたであろう無知から来る決断や、間違った人との結婚、カルト宗教への入信だったかもしれない。あなたの周りには、あなたの人生にひどい結果をもたらす可能性のある数多くのものがある。
神が、それらからあなたを守ってくださったことを見て、神の善良さに感謝しようではないか。
3. ずっと共におられる神を知る
最後に、神がずっとあなたと一緒におられたことを覚えよう。あなたが生まれるずっと前から、神はあなたを愛し、あなたが母の胎内にいたときから、その目はあなたに向けられていた。その同じ神が、あなたが悔い改めてキリストの元に来たという事実を喜び、またさらに、あなたのことをいつまでも変わらない愛で求め続けてくださっているのだ(詩編139:13〜18、ルカ15:7、10)。
人間は実際に神に触れることはできないかもしれないが、神は決してあなたを見放さず、また見捨てない。これが神の約束である。これだけで、いつもあなたが感謝するために十分な理由があるのだ。