「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。・・・たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23:1~6)
今日は、詩篇23篇をそれぞれテーマに区切って、神様に感謝し賛美する信仰を確認したいと思います。
1. 主が常に共にいてくださる安心感
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」(1節)。人は、神の創造の初めから、1人で生きていくようには造られていません。人々との交わりの間に生きています。1人では生きていけない弱い私たちに、神様は最も大切な恵みを与えてくださいました。それは、命の与え主である神ご自身が常に私たちと共にいて導いてくださっているということです。
このことがどれほどの平安と確かさを私たちに与えていることでしょう。羊飼いが羊の世話をし、危険から守るためにいつも目を配るように、主がいつも私たちを導いてくださることを感謝しましょう。
2. 困難や試練も必ず導き通してくださる
「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰を歩くことがあっても」(3、4節)。人生の歩みの中では、不安や恐れ、心配、時には争いの道を歩まなくてはならないこともあるでしょう。私たちは苦痛やため息のない人生を期待しますが、実際の私たちの人生には痛みが伴います。それは、私たちには弱さや不完全さがあることの証明でもあります。
しかし、主は私たちをこのような状況から助け出してくださいます。問題があるときでも大丈夫。人生のどん底とも思えるような状況からも助け出してくださるということを覚えましょう。
3. 恵みと祝福の尽きることのない人生
「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます」(5節)。私たちの人生に溢れるばかりの祝福を備え与えてくださる恵みの神が共にいてくださいます。敵が目の前にいる状況であっても、主は祝宴を用意してくださっているのです。
聖書の神は、愛と恵みの神です。日本人の宗教観にある、罰を与える神ではありません。私たちの人生には、神の恵みが常に追いかけてくるのです。祝福され、恵まれるという「予感」を持ちましょう。私たちクリスチャンは楽観主義です。弱くても神が助け出してくださり、罪人であっても救い出してくださる。たとえ死んでも永遠の命で生かしてくださる神が共にいてくださるのです。
イエスの別名はインマヌエル。それは、「神が私たちと共にいてくださる」という意味です。救い主であるイエスを信じているということは、イエスの導きが常に私たちにあるということです。主の導きを本当に求め、感謝してさらに前進する者でありましょう。
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