「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4:9、10)
1年の終わりに、忙しいからといって不機嫌にならず、心の喜びのボリュームを少しアップしませんか。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
争いが絶えない世の中を見るとき、人の本質は罪であることがよく分かります。その中で、クリスチャンとされた私たちは、救われた喜び、平安、愛をいっぱい頂きました。今度は、それを家族や職場の仲間、友人に伝えていきましょう。
Christmas(クリスマス)は本来、Christ(キリスト)と、Mas(祝いの時・儀式=お祭り)の合わさった言葉です。クリスマスは、イエスの誕生をお祝いする心を込めた礼拝です。ここでクリスマスの意味を確認しておきましょう。
1. 神が独り子イエスを遣わされた事実
世の人々は、ファンタジーや空想話が好きですが、しかしそれらは、私たちを本当に救うことはできません。神は、独り子イエスを、私たちの罪の身代わり(なだめの供え物)として死なせるために遣わされました。クリスマスは、この事実から始まり、この事実に基づいています。この事実なしには、クリスマスの意味はありません。
2. 命を与えてくださった事実
なぜクリスマスが2千年以上も祝われ続けているのでしょうか。日本では、商業主義によってクリスマスが盛大に祝われていることは否定できません。しかし、クリスチャンである私たちは、イエスによって命を与えられたことを決して忘れてはなりません。人の力で罪は消せません。私たちの罪を取り除くには、御子イエスの血を流すことなしにはできないのです。
神は、イエスの命を私たちに下さいました。それにより私たちは命を得たのです。あなたの命を根本から変える新しい命を得たことを感謝しましょう。
3. 神の愛が示された事実
神の愛は、御子を遣わされ、私たちが命を受けることによって明確に示されたのです。まことの神の愛を知らない多くの日本人の神概念は、「触らぬ神に祟(たた)りなし」とか「溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ」というように、甚だあやふやなものです。しかし、聖書の神は、愛です。
「愛」は美しい言葉で好んで使われますが、人生を長く生きれば、私たちの「愛」には限りがあって自己中心的で弱いものであることが分かります。私たちが立派だから、神が私たちを愛してくださったのではなく、神がまず私たちを愛してくださいました。神は、何があっても揺らいだりせず、尽きることがない愛で私たちを愛し続け、常に弱い私たちと共にいてくださいます。
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