「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。・・・登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:1~7)
クリスチャンである私たちは、イエスの誕生をお祝いするクリスマスの12月ですので、誰よりも心の中に喜びや平安を頂いて前進したいと思います。今日の聖書箇所は、しばしば生誕劇で描かれている場面ですが、時はローマ帝国の時代、全世界の人口調査をせよという命令が下ります。皆それぞれの出身地、本籍地に戻って登録をしなければならず、ヨセフとマリヤもベツレヘムを目指したのでした。
しかしマリヤは、御使いガブリエルが告げた通り、聖霊によって身ごもっていました。ベツレヘムに到着したとき、宿屋はどこもいっぱいで、仕方なく家畜小屋に泊まっている間にマリヤは男の子を産み、その赤ん坊を飼い葉桶の中に寝かせたと記されています。その当時の飼い葉桶は、汚いえさ箱でゴミ箱同然でした。その中にイエスは寝かされたというのです。
またヨセフも、ローマの支配下にあるため、身に危険が及ばないよう、自分がダビデ直系の子孫であることが知られないように生きていたでしょう。それでも、あの偉大な王の血筋であるという誇りが当然あったと思います。
他国に侵略され、支配されている一員として住民登録に赴き、家畜小屋で休むことを選び、そこで子どもが誕生するのを見届けなければならない。大きな葛藤があったはずです。しかし、ここにイエス誕生の3つの大きなポイントがあります。
1. 一番低いものとして生まれたイエス
イエスがお生まれになったとき、家畜が住む場所でそのえさ箱に自らの命を横たえられました。王宮でも高貴な血筋の家でも、庶民でもなく、この世で最も低いところにイエスがご自分の命を生み落とされるようにしてくださいました。これはイエスのへりくだりを表すものです。イエス・キリストは、支配するお方ではなく、へりくだってくださるお方です。
2. 底辺で共に結びついてくださるイエス
へりくだられるだけではなく、一番低い底辺のところで私たちとのつながりを作り、私と共にいてくださるお方です。イエスの誕生を目撃した最初の人たちは羊飼いでした。当時の人々からすれば、最も貧しい、世の中からも捨てられたも同然の人々でした。そんな人々の友となり、そんな人々の祝辞を受け、そんな人々の希望にもなってくださる。主は低き私たち、弱く取るに足りない、大したところがまったくない私たちと結びつき、1つになり、同化してくださるのです。
3. 一番低いところから偉大な御業が始まる
最も低いところから救い主イエス・キリストの地上での物語を始めてくださり、全人類の贖(あがな)いを成し遂げられました。イエスは、私たちがどんなに弱くとも、一番低いところまであえて自ら下ってきてくださり、私たちと結びついて1つとなり、私たちの内に宿ってくださるお方です。そしてこのイエスが、救い主としての偉大な御業を成し遂げてくださり、人々を救い、癒やしてくださることを感謝したいと思います。
この主の御業は、旧約聖書のイザヤ書53章にあるように、イエスが生まれる何百年も前から預言されていました。「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」。イエスが、弱く足らない、病んでいる私たちの世界まで下ってきてくださり、私たちと結びつき、内に宿ってくださる。そしてその一番低い、弱り果てているところから、偉大な救い主の御業を行ってくださる。この癒やしの御業を頂きましょう。
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