3. イスラエル・ロビー
米国がイスラエル寄りに行動するのは、聖書に基づいた価値観を重視する米国人のアイデンティティーとしては当然のことのように思う(これについては次回詳述する)。しかし、単なる宗教的価値観の親和性のみでここまでの貢献をイスラエルにするとは考えにくい。イスラエルのために米国内で働き掛ける特殊な力が存在したことを忘れてはならない。これら諸団体を「イスラエル・ロビー」という。
「イスラエル・ロビー」の活動とその経過は、立山良司氏の『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』(中公新書、2016年)に詳しく書かれている。立山氏の分析によると、現在ユダヤ人は全世界に1400万人。そのうち最も多数を占めているのがイスラエルと米国で、それぞれ600万人超である。
イスラエルのユダヤ人率は80パーセントと圧倒的なのは分かるが、米国でのユダヤ人率はわずか2パーセントである。そういった意味で米国ユダヤ人は、他人種と共にマイノリティーであることは否めない。しかし、イスラエル・ロビーはイスラエル建国からわずか数年後に結成されている。
そして、結成当時はあまり目立つ存在ではなかったが、80年代の福音派の政治化傾向と軌を一にして隆盛し、現在では大統領のキャスティング・ボードを握る存在にまで成長しているという。その代表格がAIPAC(エイパック:米国イスラエル公共問題委員会)である。彼らは1967年の第三次中東戦争でイスラエルが勝利したことで一気に力を増し、政府に圧力をかけられる有数の団体に成長していく。
ちなみに2016年の大統領選挙では、AIPACの年次大会(3月)に民主共和両党の大統領候補者4人(ヒラリー・クリントン、テッド・クルーズ、ジョン・ケーシック、そしてドナルド・トランプ)が参加し、演説を行っている。面白いことに、ユダヤ系候補のバーニー・サンダースがここに不参加だった。そして、参加した候補者は全員が「私はイスラエルの友人です」とアピールしたという。
さかのぼること26年前、湾岸戦争で軍事的介入をした米国は、当時のブッシュ(父)大統領が中東和平問題解決のため、イスラエルに占領地での入植活動を一時停止するよう求めたことがあった。さらに彼はイスラエルに10億ドルの債務保証提供を一時棚上げするぞ、と圧力をかけた。そして、これがとんでもない騒動を引き起こしてしまう。
なんと千人を超えるイスラエル・ロビイストが議会に押しかけ、債務保証提供を即座に行うよう圧力をかけ始めたのである。結果、債務保証は翌年に提供され、さらに同年の大統領選挙でブッシュは苦杯を喫してしまう(もちろんこれだけが敗因ではない)。統計によると、ブッシュはユダヤ人票のわずか11パーセントしか獲得することができていなかったという。
ロビー活動のみならず、イスラエル・ロビーのもう1つの武器は、豊富な資金力である。彼らの中には突出した富裕者が幾人も存在した。彼らは選挙候補者から「メガ・ドナー」と呼ばれ、選挙資金を提供するかわりに親イスラエルの政策を支持するように求めた。
ユダヤ人が米国社会に本格的に進出できたのは、1930年代のニューディール政策の時であったという。フランクリン・ルーズベルト大統領が、経済的に傾いた米国を立て直そうとして新しい制度や法律を作り出そうとした。その際、力を貸したのがユダヤ人の専門家たちであった。お金持ちと優秀な頭脳、その両面を併せ持ったイスラエル・ロビーは、やがて米国を背後から動かし始めるのであった。
当初、メガ・ドナーのロビイストは民主党支持であった。しかし9・11以後、イスラム国家を敵視する傾向が強まる中、共和党との連携を強めていった。このことをはっきり物語っているのは、2011年12月のユダヤ人有識者の集まりに参加した共和党の政治家たちの発言である。
彼らは共和党から大統領候補の指名を得るためにしのぎを削っていた。候補者争いの中で、当時最も先んじていたニュート・キングリッチ氏は、イスラエルと敵対していたイランを名指しで挙げ、現体制の転覆を呼び掛け、さらに自分が大統領になったあかつきには、在イスラエルの米国大使館をテルアビブからエルサレムに移す、と公言したのである。
当時はこの発言が「過激」と受け止められた。しかし、同じことを現大統領が公約に掲げ、実際に遂行しようとしているのである。このところからも、これがトランプ氏独自のアイデアや、彼特有のリップサービスではないことが分かる。
この「エルサレム首都宣言」は、共和党内で常に議論されてきたことなのである。長年の悲願であったという側面もある。歴史をたどれば、95年に米国議会はエルサレムへの大使館移転を可決している。歴代大統領は中東の火薬庫に火が付くことを恐れ、この法案を実行に移してこなかっただけなのである。
4. オスロ合意
1979年、ジミー・カーター大統領時代にエジプトとイスラエルの和平合意をお膳立てした(キャンプ・デービッド合意)ことを機に、米国はイスラエルへの援助を飛躍的に増大させていく。
そして1993年9月、パレスチナ問題に新たな進展があった。ビル・クリントン大統領は、イスラエルとパレスチナ諸国との間に一定の協定を結ばせ、暫定自治合意を生み出すことに成功する。これがオスロ合意である。
イスラエル首相のイハツク・ラビンとパレスチナ解放区(PLO)の議長ヤセル・アラファトが握手を交わしたのである。イスラエルは1967年に手に入れたヨルダン川西岸とガザ地区から撤退し、そこに東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を容認することとなった。これを「二国家解決案」と呼ぶ。この時以来、エルサレムは異なる三宗教の聖地であるとともに、イスラエルとパレスチナ独立国家の両陣営が共存する都市となったのである。
しかし、事態はこれで収束に向かったわけではない。2000年代に入ると、米国を仲介者とした和平プロセスはむしろ停滞していく。イスラエルが、オスロ合意以降も引き続き東エルサレム、西岸への入植活動を継続させているし、ガザ地区をめぐる小競り合いは常に引き起こされた。暫定自治の期限が1999年に切れたため、2000年9月には、いわゆる「第二次インフィファーダ(パレスチナ人の反占領闘争)」が起こっている。
1993年に11万人だった西岸の人口は、2014年には38万人に膨れ上がっている。また東エルサレムへの入植を、イスラエル側は「(東エルサレムを)自分たちの占領地とは見なしていない」という建前にのっとり、そこへ入植するユダヤ人が存在することを半ば公然と看過している。
5. 米国からの優遇措置
イスラエルがこのように強気に出られるのは、参考資料として挙げた『エヴァンジェリカルズ』『ユダヤとアメリカ』両作者共に米国からの優遇措置があってのことと指摘している。米国国際開発庁のデータによると、1964年から2013年までの68年間に、米国が全世界に拠出した援助金1923億ドルの60パーセントがイスラエルに対してである。しかも、1980年以降、米国からイスラエルへの援助は、すべて返済義務のない「贈与(グラント)」という形をとり、さらにこれが一括で支払われているのである。
イスラエルのGDPはどうだろうか。2000年初頭には1人当たり2万ドルに達し、2015年には3万4300ドルとなっている。立山氏の指摘によると、これはもはや援助を必要としている国ではなく、むしろ援助供給国となるべき水準らしい。
オスロ合意以降、入植を停止させないイスラエルに対して、国連安全保障理事会にはイスラエルを非難する決議案が提出されている。しかし、常任理事国の米国がこれに反対するため、常に14(賛成)対1(反対)というスコアにもかかわらず、成立したことがない。歴代政権は常に拒否権を発動させ、占領地でのイスラエルの横暴ともとれる言動を擁護してきたのである。
1980年以降、イスラエルに対するイメージは国際的に変容してきている、と立山氏は指摘する。ジャーナリストのレオナード・フェイン氏の記事を参照しながら、「アラブのゴリアテがちっぽけなイスラエルを危険に陥れている、というイメージ」が「軍事的には十分強大になり、それでも占領を続けているイスラエルの方が、むしろゴリアテのように見えてきた」と述べている。
次回は、なぜここまで米国がイスラエルを支援するのか、その神学的な要因をひもといていこう。
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