レスブリッジのカナダ日系人宣教会(CJM)委員会は、マーガレットにバンクーバーに戻って日本人に仕えてほしいと頼みました。というのは、戦争が終わり、西海岸に戻って来る日本人が増えていたからです。マーガレットは「エリス・ハウス」(バンクーバー在住の女性向け聖書学校)を主宰する傍ら、多くの日本人家庭を訪問し、日系2世と共に日曜学校や青年集会を始めました。
ヨシダ・エディー兄:私が初めてマーガレットさんにお会いしたのは、夏の仕事で私がバンクーバーに近いリッチモンドに来ていたときでした。私に必要だったのは仕事用の車でしたが、バンクーバーに新設された「日系2世クリスチャン・フェローシップ」の若者たちを送迎するため、大きな車を購入しました。このフェローシップは、マーガレットさんが主宰していたエリス・ハウスで持たれていました。私たちのほとんどはノンクリスチャン家庭の出身でしたので、マーガレットさんは私たちの助言者であり、励まし手であり、メンターでもありました。私たちにとって、日系2世クリスチャン・フェローシップのバッジは誇りでした。
その頃、日系1世が手掛けていた働きが日曜学校の一部に成長していました。その影響で、マーガレットさんは年配の日本人に伝道するため日本語をさらに学びたいと願うようになりました。当時、年配者への伝道はまだ手付かずでしたが、日本からの移民が以前より自由になり、新たに多くの日本人が流入するようになっていた状況を受けて、年配者への伝道は緊急の祈りの課題となりました。
この時、後に毎年の恒例行事となるもう1つの働きが始まりました。国境をまたいで、「日系2世カンファレンス」が、米国ワシントン州にあるピルグリム・ファーズ・キャンプ・カンファレンス・センターで開催されたのです。この集会は、ワシントン州の日系2世と良き交わりを深める手段となり、長年にわたって開催されました。
タズミ(ウチダ)・メアリー姉:私の姉たちは、私という「反抗的な」妹のことで大変気をもみ、私の救いのためにずっと祈っていました。ある晩のこと(というより、夜中の2時と言うべきでしょうか)、私がパーティーから帰って来ると、マーガレットさんが外に座っていました。私の帰りを待っていたのです。優しく腕を回して私を引き寄せると、私の目を見てこう言いました。「メアリー、イエス様を救い主として受け入れませんか」。私は彼女を振り払って「嫌よ」と答えました。私は玄関を開け、マーガレットさんを外に残したまま、家に入ってしまいました。たいそう落胆されたに違いありません。しかし主は、彼女の訪問を通して私の心に語ってくださいました。寒さの中、私のために外で待っていてくれるなんて、私には信じられませんでした。ついに私は教会に足を向け、間もなく主イエスを心にお迎えしたのでした。