「私の手術は成功し、オカナガン地方の働きについては、現地の後援のもと、新たなチャレンジを受けました。オカモト夫妻から便りが届いたのですが、南アルバータのサトウキビ農園で5千人の日本人が生活しているというのです。また、日系2世の必要がほとんど満たされていない状況にあるとのことでした。お二人は、現地視察のための列車代まで送ってくださいました。私は現地に赴き、6年間滞在しました」
コンノ・ヘレン姉:オカモト・サム、タツエ夫妻(新婚夫婦)が、テイバーにある私たちの家にしばらく滞在しました。その時2人は、ブリティッシュコロンビア州のビクトリアから集団移住していたのです。1946年にマーガレットさんを南アルバータ州に連れて来たのは、このお二人の勧めがあったからでした。マーガレットさんは、でこぼこの田舎道を一生懸命運転して来られ、「日系2世クリスチャン・フェローシップ」の日本人を訪ねました。この働きとキャンプを通して、たくさんの人がイエス・キリストを救い主として信じました。私たちは皆、マーガレットさんが大好きでした。彼女に日本人に対する重荷を与えてくださった主に感謝しています。
これはとても大きなチャレンジでした。働きが急速に拡大してゆき、マーガレットは本部(バンクーバー)の委員会に働きを補強してもらう必要性を感じました。1946年9月、2、3人の人たちがカナダの日本人伝道に重荷を感じ、団結して「カナダ日系人宣教会」(CJM)を結成しました。
団体の結成に引き続き、CJMのために毎月祈祷会が行われるようになりました。これは、働きの基盤固めの大きなステップとなりました。この援助を得て、マーガレットは南アルバータに赴きました。そこではオカモト夫妻とイワブチ夫妻、タマギ夫妻、トノムラ夫妻が、喜んで彼女の働きに加わりました。矢継ぎ早に、青年集会と日曜学校が幾つかの場所に開設され、交わり会や大会が開催されました。
カナシロ・ノリ兄:初めてマーガレットさんに会ったとき、私はまだクリスチャンではありませんでした。友人が、レスブリッジの近くで行わた若者の集会に誘ってくれたのです。集会には15人くらいの若者が来ていました。知らない人ばかりでしたが、皆気さくだったので楽しく過ごせました。マーガレットさんがお話をされました。何を話されたかは覚えていませんが、今でも印象に残っているのは、彼女が喜びと平安のオーラを発していたことです。
テイバー、レスブリッジ、コールデール、レイモンド、バーンウェル、カルガリー、エドモントン・・・日本人コミュニティーがあると聞きつけると、マーガレットはどこへでも視察に行きました。
カナシロ・ブランチ姉:私がマーガレットさんに初めてお会いしたのは、彼女とオカモト夫妻が、レスブリッジの南にあるマクナリーの日曜学校を始めたときでした。私が主を救い主として信じたのは、この小さな田舎町の日曜学校でした。マーガレットさん、日本人を愛し、私たちに福音を届けてくださってありがとうございます。
1953年の春には、若き日系2世のクリスチャンたちが相当な人数になり、働きの基盤固めをしなければならないことが明らかでした。多くの祈りと話し合いの後、2つの新しい「ビジョン」が与えられました。1つ目として、新しいクリスチャンたちの信仰を養うために、レスブリッジで日曜夕拝が開始されました。また秋には、日系2世福音教会が組織されました。2つ目として、その年の夏に第1回のキャンプが行われ、「クーテネイ・キャンプ」は伝統になりました。
この働きが始められてから50年余りが経過し、現在では「サニーサイド・キャンプ・イン・アルバータ」という名で行われています。無数の老若男女がこの働きによって祝福され、指導者層は3世や4世にまで継承されています。
タマキ・シグ姉:マーガレットさんの内にあるキリストの愛と、日本人に向けられたマーガレットさんの愛と祈りのおかげで、私は1949年11月29日、人生にキリストをお迎えすることができました。それ以来、私はマーガレットさんの働きに携わるようになり、彼女が忍耐強く日本人をキリストに導いてくださったことを高く評価しています。
イワブチ・ジャック、スウ夫妻:アルバータ州のマーガレットさんの働きには数多くのよき思い出があります。当時始められた働きは、今も続いています。
イワブチ・ビル、ソフィー夫妻:親愛なるマーガレットさん。長年にわたり、日系人(特に南アルバータの)のために主にあって奉仕くださり、ありがとうございます。