「私は、ブリティッシュコロンビア州にある他の収容施設も訪れた上で、主が私の滞在地として望んでいるのは(オカナガン地方にある)バーノンだと最終的に判断しました」
マーガレットとバーノンの日本人コミュニティーの橋渡しをしたのは、クボニワ・ケン兄でした。日系人の一部はもともとそこで果樹園農家をしていましたが、多くの人は西海岸からの被収容者として果樹園で働いていました。
日曜学校が始まり、夏期休暇聖書学校もオカナガン地方の3カ所で行われました。もう1つの聖書学校はスローカン地方のクーテネイ地区で行われ、100人余りの少年少女が集まりました。秋になると、バーノンで若者たちの集会が始まりました。
「この期間における私の移動手段は自転車でした。ある晩、私は自転車で南バーノンの若者の集会に出掛けました。私が到着したときは、誰もいませんでした。ガスランプを点火できずに苦労しましたが、その後、大きなドラム缶の中でたき火をしました。私は待ちましたが、誰も来ませんでした。落胆して家路につくと、暗がりの中で道路のくぼみにタイヤがはまり、ハンドル越しに投げ出されてしまいました。身を起こして、壊れた自転車を押しながら帰宅し、働きをやめてバンクーバーに帰ろううかと初めて真剣に考えました」
「その夜、ひざまずいて祈っていると、主が語られました。『たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります』(ガラテヤ6:9)。翌日、友人から手紙が届き、同じ箇所が書かれていました。そして次の日曜日、驚いたことに、私が初めて出席した教会の牧師が、同じ箇所を使って私のために祈ったのです! 疑いが消え去った私は、主が語ってくださったことを感謝し、前に向かって走り続けることにしたのです」
マーガレットが人々を奉仕に立てる才覚を現したのは、ここオカナガン地方でした。それは日系2世であろうと白人であろうと、短期の奉仕であろうと長期の奉仕であろうと同じでした。自分の働きに支援と助けが必要であることを自覚していたマーガレットは、たくさんの友人をつくり、彼らが働きの中で自分の時間と賜物(たまもの)を使うことを喜びました。彼女にとって、働きはそれほど大切だったのです。
メリー・シャーポース姉:私たちは数人の若者を、アームストロングで行われる青年集会に車で連れて行ったのですが、そこでマーガレットさんに出会いました。その時まで私たちは、自分たちの地域にいる日本人に会ったことはありませんでした。そこで日本人に会ったことが、その後、長年にわたって日本人伝道に携わる機会になりました。マーガレットさんは、オカナガン地方を行き来するとき、何度も私たちの家に泊まりました。それは私たちにとって祝福の時でした。
アイリーン・ローエン姉:オカナガン地方の孤独で傷ついた日本人の伝道に、マーガレットさんと一緒に出掛けた楽しい思い出があります。私が驚いたのは、彼女に友人がたくさんいることと、その友人たちが、彼女に揺るぎない信頼を置いていることでした。マーガレットさんは、一人一人に常に耳を傾け、共感する心を常に持ち合わせていました。それを体験し、そこから学べたことを主に感謝しています。
1945年の秋には、青年集会がオカナガン地方の4カ所で定期的に催されていました。また、第1回日系2世聖書カンファレンスも豊かな祝福のもとに催されました。
イマヨシ・カツミ姉:私がマーガレットさんに出会ったのは、彼女がオカナガン地方の日本人に伝道しに来られたときでした。果樹園の小屋の中で、キャンプのような集会が行われていたのを覚えています。マーガレットさんや他の人たちが聖書研究を導き、皆で証しやゲームをして時間を過ごしました。その時できた友達の何人かは、今でも付き合いがあります。
最後に、ビー夫妻が(その後にキャシー・モーリス嬢もですが)、バーノンとケロウナの日系1世のために働きを始められました。3人とも元は日本の宣教師だった方々です。マーガレットと働きを共にし、後に指導者になった方々は大勢いましたが、その中で最も傑出していたのは、ケロウナのシャーピーズ夫妻でした。お二人は多くの日本人のために、長年にわたり心と自宅を開放しました。その働きはいつまでも忘れられることはないでしょう。
ブダイ(ウチダ)・マチコ姉:私は、長年にわたってマーガレットさんと知り合いでいられたことを主に感謝しています。私の家族は、私よりも前から彼女を知っていました。私がマーガレットさんに出会ったのはケロウナで(当時、私はサマーランドに住んでいました)、キャンプのフォローアップの交わりの時でした。私は「この人がマーガレット・リッジウェイさんなのね! いろいろと話に聞いていた方にやっとお会いできたわ」と思ったことを覚えています。
イケノウエ・イワオ兄:マーガレットさんを導き、オカナガン地方の日系2世に伝道させてくださった主に感謝が尽きません。私は、自分ではクリスチャンだと思っていたのですが、実際は神と和解できていませんでした。1945年5月のある晩、マーガレットさんが、ベテル・バプテスト教会の特別集会に私たちを連れて行ってくれました。イソベル・クーン牧師のチャレンジで、宣教の奉仕に献身するよう強く促された私は、新生する必要があることも知らずに応答してしまいました。私はつまずきを感じて、急いでその場を去ろうとしたのですが、マーガレットさんが話し掛けて来られて私を牧師に紹介したのです。「あなたはイエス・キリストを救い主として心に受け入れたことがありますか?」と、先生に尋ねられましたが、私は「はい」と答えることができませんでした。しばらく躊躇(ちゅうちょ)していたのですが、ついに私は、罪人の祈りを祈りました。そしてその晩、私は心に平安を持って教会を去ることができました。
1946年の春、マーガレットは手術を受けなければなりませんでした。彼女はオカナガン地方の働きを他の人たちに委ね、手術と療養のために故郷のバンクーバーに帰りました。