祈りの時間が止まり、そこにいるすべての人が聖堂脇の階段に通され、大きなホールに招かれた。そこでは、水やお菓子、コーヒーが修道士たちの手によって配られ、あのフィロセウ修道院でもあったように、休憩の時間となった。
やがて、マイクを通して主教、修道院長という順番に話を始めた。それまで、ワイワイと水を飲んだり話したりしていた巡礼者たちであったが、その時間だけは静まり返り、その声にすべての修道士、巡礼者たちは耳を傾け、静かに聞き入っていた。とても印象的であった。この深夜のおもてなしは、1時間にわたる長いものであった。
再び、全員で来た階段を下り、聖堂を目指した。聖堂内はこれまでにないくらいのロウソクに満たされた。修道士たちの声が聖堂のドームに反響し、いつもより高らかに、大きく、どこまでも届きそうで、ふと全体を引いて見ると、まるで聖堂が燃えているかのような明るさ。彼らの声と混じり、何か人間の大きな力と生きている勢いを感じたのである。
彼らは生きているのだと感じた。神をイメージし、神の力だけを借り、人を想う祈りを日々続けている。一人一人のここへの出家ともいうべき動機について、決してすべてを知り得ることはできないが、ここで生きていく決意と心強さ――。
彼らは生まれながら神に近い存在であり、自己を持つことで遠ざかっていった。それを回復していく道行きが正教の祈りの根本であるという父の話をこの時に思い出した。
生きることは人を想うこと。彼らはこの地で、その教えを感じて生きている。神の一番近くで生きることを決意した修道士たち。この時間、私はこの聖堂で、彼らの力強く生きている姿を感じ取った。それは、何よりも美しく、清らかな瞬間であり、生きる人間にとって何よりも大切なものなのではないかと感じた。
2時間後の午前5時、再び祈りの時間が終わった。そして、ある修道士が私に、こう言った。「1回部屋で休憩です。3時間後にまた聖堂で会いましょう」と。長時間にわたる撮影でデータの保存もしたいところだったので丁度よく、部屋に戻り、荷物とデータのチェックを済ませてから少し仮眠をした。
朝日が昇り、7時半ごろ、再び聖堂の周りに人が集まり出し、ガヤガヤと話しながら、祈りの時を待った。すると、聖堂から主教、修道院長を先頭に修道士たちが列を組んで現れ、そのまま聖水所に向かった。この聖水所での儀式を見るのは初めてであった。
アトスは950年代、聖アサナシオスによってアトス山から流れる水脈が見つけられ、その後、このような修道院が建てられ、修道士たちが住みついたといわれている。この水は、そんなアトス山から湧き続けている水と思うと、これまでの歴史と永遠のつながりを感じることができる。
遠く昔から受け継がれる祈りの中で、聖堂ではイコンや不朽体、このように聖水などアトスを取り巻くすべてのものに、これまでの修道士たちの気配を感じるのである。死して、復活を待ち望む修道士たちの祈りの瞬間は、過去との対話でもあるように思う。神の国へ行った修道士たち、今生きている修道士たちが同じ祈りを続け、同じイコンや聖水を目の前にし、これまでの何層にも重なった祈りの時間を、ここアトスでは随所に感じることができるのである。
やがて、この隊列をなし、聖歌を歌いながら修道院内を回る。これもまた、千年続く祈りである。彼らは、そんな流れを絶やすことなく、今日も続けている。
今回の取材はここまで。日程の関係でこの祈りの最後を見ずに帰路に就くことになった。「また、この地へ来なさい」と誰かに言われている気がする。そんなことを感じながら、バスに乗り込んだ。
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