聖堂に入り切らないほどの参列者。聖堂内はロウソクの光で満たされ、修道士たちの目つきにも力が入る。両翼には修道士や巡礼者たちもスタンバイする。静かに1人の修道士が祈祷書を読み出した。いよいよ始まりだ。
闇に包まれたヴァトペディ修道院、気付くと聖堂内は修道士と巡礼者たちでいっぱいになっていた。昼間、ごった返していた「アルフォンダリキ(受付)」を想像すると、当たり前の話であるが、ここまで聖堂にギッシリと人が埋まっているのは初めてであった。
カメラを向けてシャッターチャンスをうかがっていた。次の瞬間、ある修道士が私の肩を叩き、小声で「撮影はNO」と呟いた。以前、ここの修道院長に「聖堂はNGです」と注意を受けていたことを思い出す。これまで、数回の大祭日の撮影をしてきた。
自分の中に、少し自信もあり、夜が更け、巡礼者もまばらになったり、聖歌が大きく盛り上がったり、聖堂内の進行などにより必ず撮りやすい瞬間がくることは分かっていた。
この大祭日の撮影では、気長にその瞬間を待つ。そして、なるべく最前列で司祭や補祭、修道士たちの動きを見て、よき場所をキープするのが、自分のルールとなっていたのだ。
この日も最前列で、スタンバイをし続けた。この日のこの目標のためにここへ来て、カメラを持っている。そう思うと、不思議な力が湧き、集中力が上がるものである。
この日の人の多さに聖堂の外も、巡礼者たちで溢れかえっていた。修道士たちは外からも見ることができる窓の前に椅子を用意し、巡礼者たちもそこへ腰掛けながら、祈りを見続ける者もいた。
聖堂の外の様子を見ていると、ある人が再び肩を叩いた。前回訪れたときに、イコン工房を案内してくれたS修道士であった。すると、私を手招きし、歩き出したのだ。聖堂の側面に回り込み、窓の位置に私を呼び、「ここからすべてを見ることができますよ」と撮影スポットを教えてくれたのだ。
彼のように、ここのアトスには、私の目標を把握し、このように手伝ってくれる修道士が数人いる。この心強い彼らのおかげで今日の自分があるということを感謝しなくてはならない。今回の展示のメインビジュアルとなるこの1枚はその時に撮影したものである。
撮影で夢中になっていると、外は満天の星に包まれていた。アトスでの祈りを取材していると、この星の海を、夏はほぼ毎日見ることができる。このロケーションで続けられる「千年の祈り」は、何とも心地良く、この日、この場所にいられるという幸福感を感じるのである。
聖堂内の声がピタリとやんだ。次の瞬間、主教を先頭に修道院長、修道士が聖堂を後にし、居室への階段を昇り始めた。係りの修道士たちは、巡礼者たちを手招きし、その居室への階段へ通した。多くの巡礼者たちが、行列になり、上へ上へと向かう。私もその列に紛れ、案内された。
すると、そこには大きなホール、まるで結婚披露宴でもできるかのような、贅沢(ぜいたく)な造りに、椅子が所狭しと並べられ、順番に巡礼者たちがそこに通されるのであった。
修道士たちは、ウエイターのように、水やお菓子を巡礼者たちに丁寧に渡す。長い祈りの休憩の時間のようで、以前、フィロセウ修道院でも体験したような時間でもあった。しかし、大きく違うのが、おもてなし感である。
この修道院はあの院長の下、しっかりと教育がなされ、何よりもここへ今日来た巡礼者たちと共に過ごすことができるこの時間を大切にしているという気持ちが伝わってくる。この修道院が人気たる理由はやはりの修道院長の魅力そのものであることに、随所で気付かされるのである。
現在開催中!
中西裕人 写真展:記憶~祈りのとき
<会期>
キヤノンギャラリー名古屋 9月28日~10月4日
10:00~18:00(最終日15:00まで)日、祝休館
キヤノンギャラリー福岡 10月12日~24日
10:00~18:00 土、日、祝休館
書籍情報
2017年8月31日発売
中西裕人著『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』
原始キリスト教の伝統を色濃く残すギリシャ正教の聖地。俗世とは隔絶された環境で、家畜さえ雌を排除する徹底した女人禁制の下、生涯、この地に生きる2千人の修道士たちの祈りの日々――厳しい撮影制限のため、ほとんど知られることのなかった謎の宗教自治国の実像を、日本人として初めて公式に撮影した、驚きと感動の写真紀行!
<目次>
はじめに
第1章 アギオン・オロス・アトス
第2章 修道院の祈りと生活
第3章 冬のアトス 降誕祭
第4章 ケリに生きる修道士
第5章 「記憶」祈りのとき
アトス修道院に暮らして 性善説のキリスト教
日本ハリストス正教会司祭 パウエル中西裕一
写真解説
おわりに
中西裕人著『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』
B5判変型・175ページ
新潮社
定価5800円(税別)
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