カトリック、プロテスタントと並ぶキリスト教3大教派の1つ、正教会。その聖地であるアトスは、原始キリスト教の伝統を最も色濃く残し、修道士の修行の地として知られている。1988年に世界遺産に登録されながら、15世紀以降、女人禁制のため女性は「入国」できず、18歳以上の男性の正教徒のみが居住している。『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』(新潮社)は、日本人として初めて聖山アトスを公式に撮影し、そこでの体験を綴(つづ)った写真紀行だ。
ギリシャの北東部、エーゲ海に突き出したハルキディキ半島の東端にあるアトスは、全長45キロメートル、幅10キロメートルの小さな半島で、ギリシャ領内にありながら、同国より治外法権が認められた独立宗教自治国。島には大きな修道院が20あり、それぞれ100人前後が暮らしている。さらに、スキナという小さな共同体や、数人で暮らすケリ(修道小屋)が点在し、およそ2千人の修道士がこのアトスで祈りを中心とした自給自足の生活を送っている。村上春樹が実際にこの地を訪れて紀行文としてまとめた『雨天炎天』(新潮文庫)を読んだ方も多いのではないだろうか。
暦はユリウス暦を採用しているため、外の世界から13日遅れであるのに加え、日没を0時とするビザンチン時刻を用いるので、時の刻み方も違う。入国も厳しく、正教徒以外の観光客は1日10人までという、いわば「隔絶された聖地」だ。
著者の中西裕人(なかにし・ひろひと)氏は、雑誌やウェブなど、さまざまなメディアで活躍する30代の写真家。本紙で好評連載中の「聖山アトス巡礼紀行」も執筆している。14年に洗礼を受け、正教徒になった。父親は、東京御茶ノ水にある日本ハリスト正教会東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)の司祭・中西裕一(なかにし・ゆういち)氏で、年に2〜3回はアトスを訪れるという。
中西氏が父親と共に初めてアトスに行ったのは3年前。当初は、「写真家として謎に満ちたこの聖地を撮影したいという思いが強く、正直なところ、そのために洗礼を受けたと言っても過言ではなかった」(17ページ)というが、その後何度も訪れて修道士たちと共に過ごすうちに、ギリシャ正教の本質に魅了されていった。
アトスで体験したのは、時空を超えた感覚に陥ること、そして、出会ったすべての修道士から「理由のない愛」を感じたことで、中西氏はこれらを「得難い体験」だったと述べる。さらに、修道士と共に過ごす中で、あたたかな人のつながりを常に感じていたとも。そのような体験を通して「人を想う」ことの尊さや美しさを学び、やがてそれが「祈り」であることに気付いていく。
中西氏は長い間、「宗教」「祈り」という言葉に畏怖のようなものを感じ、向き合うのが恐ろしかったが、アトスで修道士の祈る姿を目にするうちに、「人を『想う』『愛する』ことが、祈りなのではないか」(146ページ)と思うようになったという。「日々神を想い、今生きている自分が人を想う生活こそが、喜びなのであると感じた」(147ページ)
本書には、そうした修道士たちの祈る姿や修道院の様子の他に、修道院やケリで出された数々の食事、自給自足の畑で育つ作物などの写真も掲載されている。また、巡礼者たちのポートレートから、どういう人たちが巡礼に訪れるのかも知ることができる。
「修道士たち、巡礼者たちからは、美しさ、雄大さ、おおらかさ、そして愛、友情、家族愛といった、今、この世に生きる人間にとって最も大切なものを、神の力を借り、生きて行くお手本のようなものを考えさせられ、見せられたと思う」(147ページ)
聖地とは特別な場所なのではなく、当たり前のように人を想い、人のために祈る人たちが暮らし、訪れるところなのだと、本書を通して改めて気付かされた。
中西裕人(写真・文)著『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』
2017年8月30日初版
175ページ
新潮社
5800円(税別)
9月7日(木)〜13日(水)まで、キャノンギャラリー銀座で写真展「中西裕人:記憶〜祈りのとき」が開催される。詳細はホームページで。