ロシアのペンテコステ派の牧師が祖国を逃れ、ドイツに政治亡命を求めた経緯について語った。牧師は、テロリストとして投獄されることを恐れているという。
ロシア南西部の都市ソチ出身のアレクセイ・コリャスニコフ氏は、ドイツの公共国際放送「ドイチェ・ヴェレ」(DW、英語)に対し、「なぜドイツなのか。この国のプロテスタント教会が強いからです」と語った。「ロシアに戻るのはとても危険です。戻れば、私はテロリストと宣告され、投獄されます」
今年7月にロシアから逃れたコリャスニコフ氏は現在、ドイツ西部の都市レバークーゼンの避難所で妻と3人の娘と共に難民として生活している。
今から3年前、まだ会堂を持っていなかったコリャスニコフ氏の教会は、いつもの通り喫茶店で礼拝を行っていた。しかし、聖書朗読の最中に、警官とロシアの情報機関であるロシア連邦保安庁(FSB)の職員らが現れ、無認可で宗教的集会を開いているとして、コリャスニコフ氏を起訴した。コリャスニコフ氏はその後、裁判にかけられ、罰金を科された。
一方、この出来事の6週間ほど前から、ある若い女性が集会に参加するようになっていた。女性は集会で話し合われる内容に非常に興味を持ち、毎回参加するようになったが、FSBの職員らが現れた日には、友人だとする男性と一緒に来たという。後に、友人だという男性はFSBの関係者であることが分かり、裁判では、女性と男性はコリャスニコフ氏に不利になるような証言をした。また、コリャスニコフ氏の弁護士であるアレクサンダー・ポプコフ氏によると、女性は過去にも別の裁判で、ソチの他の宗教グループに不利になる証言をしたことがあるという。
コリャスニコフ氏は、欧州人権裁判所(ECHR)に、宗教の自由が侵害されたとして訴えたが、その後圧力が一層強まった。そして突然、2013年から14年にかけて、ウクライナの首都キエフの「ユーロマイダン」(独立広場)で行われた、親EU派の市民らによる抗議デモと関係を持っていたとして、ロシアの対過激派組織が裁判に関わるようになったという。
この抗議デモでは、80人以上が亡くなり、1100人以上が負傷したが、親ロシアのビクトル・ヤヌコビッチ大統領(当時)は政権を追われ、「ウクライナ革命」につながった。この革命には反対の立場だったと言うコリャスニコフ氏は、キエフを初めて訪れたのも16年のことだとし、FSB側の主張には、「ばかばかしい」と言うほど驚いている。
ウクライナの状況は、自国の宗教社会を支配しようとするロシアの思惑が如実に現れている、とポプコフ氏は言う。「コリャスニコフ氏は支配されることを拒否したのです」