ローマ教皇フランシスコは、7日発売の著書『政治と社会』(原題:Politique et société、フランス語)で、結婚は1人の男性と1人の女性の間のみでの結合と定義付けられているとの信条を繰り返し、「私たちはそれを変更することはできない」と述べた。カトリック系のCNS通信(英語)が伝えた。
同著は、フランス人社会学者のドミニク・ウォルトン氏による教皇の一連のインタビューをまとめたもの。教皇はその中で、結婚に関するカトリック教会の教えを再確認している。
CNS通信によると、教皇は聖書に基づく結婚の伝統的定義を説明し、「私たちはそれを変更することはできません。これは物事の性質です」と述べ、同性婚は「シビル・ユニオン」(市民婚=結婚に準じた権利を認める制度)とすべきだとしている。
教皇はまた、中絶に関するカトリック教会の教えに従い、中絶は「罪のない人を殺すこと」だと述べている。中絶をした女性については、「罪があるなら、赦(ゆる)しを受けなければならない」とし、赦しが受けられることを教えている。
CNS通信が発売前に入手した同著の見本書によると、「子どもたちに自分の性別を選ぶことができると教えるなら、真理や自然の事実について、誤りを助長する役目を果たす」ことになると教皇は語っている。
教皇は、こうした性別や結婚に関する新しい考えが、他者との違いに対する恐れに基づいているのではないかと推測しており、研究者に課題の研究を進めるよう促しているという。
2013年の就任以来、同性愛者に理解を示す教皇の姿勢は広く注目を集めてきた。就任から4カ月後の同年7月には、海外訪問のための機内で記者団に、「同性愛の人が善意を持って主を探し求めているとしたら、その人を裁く私は何者だろうか」(AP通信、英語)と語った。
この「裁く私は何者だろうか」という発言を受け、一部では、カトリック教会が同性愛に関する立場を変えつつある兆候だと主張する声も出たが、文脈を無視して抜き取られたものだとする指摘もあった。
以来、教皇は、カトリック教会を性的少数派擁護に移行させてないことを示す発言を折に触れて公にしている。
例えば、14年にはバチカンで、結婚における男女の相補性をテーマにしたカトリック教会主催の会議「国際コロキウム」が開かれ、教皇は、強固な家庭の必要性について語る中で、結婚が男女のものであるとの前提で次のように語っている。
「男女の相補性を探求するために、皆さんがこの国際コロキウムに集まったことは理に適ったことです。実際に、この(男女の)相補性は結婚と家庭の基礎になるものです。家庭は自分自身や他の人の賜物を理解する最初の学校であり、共同生活のこつを習得し始める場でもあります」(バチカン公式サイト、英語)