宗教改革500年を迎える今年、青年たちが超教派のイベント「えきゅぷろ!」をカトリック成城教会(東京都世田谷区)で開催した。参加したのは、日本基督教団、日本福音ルーテル教会、聖公会、カトリックなど、さまざまな教派の教会に属する120人。17歳から30代までの青年による実行委員会形式で行われたこの集会は、エキュメニカルな動きに興味のある青年が中心となって、自らの手で仲間を集め、ゲストを招き、参加者を募った。チラシを作成し、各教会に配布、SNSを通して参加を呼び掛けた。
集会は3部構成で行われた。第1部では、堀川樹牧師(日本基督教団亀戸教会)、浅野直樹牧師(日本福音ルーテル市ヶ谷教会)、福島一基司祭(カトリック千葉寺教会、西千葉教会)の司式による合同礼拝が持たれた。
準備にあたった実行委員会では、合同礼拝をするにあたり、何が合同でできて、何が難しいのか、賛美歌はどのような形で歌うのが望ましいのかなど、協議を重ねた。聖書交読や聖書朗読には新共同訳が使われ、福音書朗読ではカトリックのミサに倣い、司祭と会衆が「主は皆さんと共に」「またあなた(司祭)と共に」などと言い交した。信仰告白は、日本福音ルーテル教会口語訳が、「主の祈り」はカトリック教会と聖公会共通の口語訳が使用された。
礼拝の中で後藤友香里さん(日本基督教団亀戸教会信徒)は次のように話した。
「私は『違い』が苦手だった。その『違い』を考える時の主語は常に『自分』。『自分とは違う』『自分とは異なる』など。しかし、イエス様は『私につながっていなさい』と言われた。その中心にいるのは神様。自分たちをつないでいるのは神様しかいない。神様につながってそれぞれが豊かな実を結んでいるのに、私はその実の『違い』ばかりに気を取られていた。大切なのは誰につながっているか、何につながっているか。『互いに愛し合いなさい』と聖書にあるように、実の違いに目をとめるのではなく、同じ枝につながっている実として、互いに認め合い、愛し合う仲間でいたい」
合同礼拝の最後には、司式者3人による祝祷があった。教派を超えた司式者が、これからのキリスト教界を担う青年たちの前途を共に祈る姿は、大きな感動を呼んだ。
礼拝に続いて行われたのは「パンの分かち合い」。これは、手作りの種なしパンを少しずつ皆で裂いて同時に食べるというものだ。本来、礼拝中に聖餐の儀式を行いたいと願っていたが、教会にとって大切な聖礼典であるが故に、それぞれの教会のやり方や考え方の違いを無視することはできず、礼拝中に行うことはかなわなかった。
実行委員長の杉野希都さんは、「礼拝中に聖餐をするのかどうかについては、実行委員会で3時間ほど、休みなく議論を交わしました」と話す。
それでも、「食卓を囲むこと」が礼拝やミサの原点だと考えた彼らが考え出したのがこの「パンの分かち合い」だった。
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた。(使徒2:46~47)
パンを裂きながら自撮りをしたり、仲間と一緒にスマホで写真を撮ったりする姿は、まさに現代の若者。喜んで共にパンを裂く姿を笑顔で見守る牧師や神父、シスターたちの姿が印象的だった。
トークセッションでは、「宗教改革とエキュメニズム」「恋愛・結婚等とキリスト教」「日本社会とキリスト教」の3つのテーマについて、司式をした3人に加え、援助修道会シスターで上智大学助教の原敬子氏も加わって話し合われた。原氏は彼らにこう語り掛ける。
「500年前、宗教改革を行ったマルティン・ルターは当時34歳で、ちょうど今日ここにいる君たちと同じくらいの若い青年。その1人の青年の勇気ある行動が世界のキリスト教を大きく変えることになった。当時、年配の聖職者たちはルターに対して『とうとう若い者がやっちゃったね』と思ったように、この『えきゅぷろ』も『やっちゃったね』という感覚が私にはある。君たちは礼拝もきちんとやった。若い時の信仰には本物感がある」
トークセッションの後には、少人数のグループに分かれて、ディスカッションを行った。3つのテーマをさらに掘り下げて話すグループ、各教会のことなどを話し合うグループなど、さまざまだった。
恋愛、結婚をテーマに話をしているグループでは、「自分はクリスチャンなので、やはり将来的にはクリスチャンの人と結婚がしたい。その方が家庭を築く上でよいのではないか。そうなると、付き合う段階からクリスチャンの人との方がよいと思う」と話す青年や、「今、ノンクリスチャンの男性と付き合っているが、この先、『結婚』という話になった時、果たして勉強会に一緒に出てくれるか、信仰を持ってくれるかなど、不安なことはある」と打ち明ける女性もいた。
また、「プロテスタントの教会では、一般的に礼拝の時間は1時間半くらいで、その大半が説教」と話すと、1時間のミサの前半が言葉の典礼、後半が感謝の典礼に馴染んでいるカトリックの青年たちは一様に驚いていた。
笑いたい時には大声で笑い、あちらこちらから「いいぞ」「がんばれ」などの声が上がる。大声で賛美し、うれしい時には抱きあって喜ぶ。おそろいのTシャツにアレンジを加え、おしゃれに着こなすことも忘れない。まさに「今時」の若者の「今時」のエキュメニズム。その根底には、彼らの平和を願う心と純粋な信仰があった。