「天皇現人神」という狂的な思想へと日本は走ったが、その理由の1つにナチズムの影響を見いだせるのでないか。ナチズムは政治理論であると同時に、宗教運動でもあった。ヨーロッパ古代のゲルマン神話をもって、新しい宗教的イデオロギーを確立し、それをドイツ統一のための精神的支柱としようというのがナチの目論見(もくろみ)であり、そのナチ流の精神をキリスト教会にも採用させようとした。
また、北欧の神話に題材を取ったワグナーの楽劇が、ナチの宗教的イデオロギーを表現するものとして評価され、ニーチェの力の哲学が援用されたりもした。
ナチスは使徒信条をそっくり書き変え、「我は第3帝国を信じ、その指導者(フユーラ)を信ず・・・」のようなものを作り、これをキリスト教会の礼拝において告白するように強制し、ドイツの教会の多くはこれに従った。これは「ドイツ・キリスト者運動」と呼ばれた。1934(昭和9)年に「バルメン緊急宣言」に署名した教会群はこれを拒否した。この時の指導者の1人が、カール・バルトであった。
また、「ドイツ・キリスト者」の家庭では、食事の時に次のように子どもに唱えさせるようにナチによって要求された。
「総統よ、神から私に与えられた総統よ。わたしの生活を保ち、守ってください、あなたはドイツを深い苦難から救い出してくださいました。私は今日もあなたに私の日ごとのパンを感謝します。どうか私のそばにいつまでもとどまり、私を去りませんように。総統!私の総統!私の信仰、私の光! 私の総統、万歳」(宮田光雄著『ボンヘッファーを読む』岩波書店)
1938(昭和13)年ごろには、ナチ法学者の第一人者であったミュンヘン大学の教授オットー・ケルロイターという人物が来日し、日本各地でナチズムの紹介講演をした。
ドイツに帰ってからは、日本紹介論文を発表しているが、美濃部達吉の天皇機関説を批判して「現人神」説を取るべきだと書いているという(宮田光雄・同書)。いろいろ驚くことがあるものである。専門外のことであり、自分の想像にすぎないが ・・・。日本にとっては「先進国」のドイツである。日本は明治維新以来、ドイツの大学制度を模範にしてきた。そのドイツにおいて、このような宗教政策が1933(昭和8)年のナチス政権成立の直後から強力に押し進められたことは日本の軍部にとって刺激になった、そうして天皇現人神説を推進するよすがとなったのだろうか。
筆者の父親は1939(昭和14)年ごろから山口県の教会を牧会したが、市内の牧師会でニーチェのことが話題になっていたようで、父親がニーチェの書物を借りてきていたことを思い出す。
筆者が小学5年の1944(昭和19)年、市内のある牧師の所に遊びに行ったら、あなたも読んでみなさいとニーチェを渡され、読んでみたが、何のことか分からず(当たり前である)、後で返却した。ともかく、当時は日本の思想界においてニーチェ研究がもてはやされていた、 そういう印象がある。
ナチスのこのような思想的傾向が日本の「天皇現人神」主義の形成に当たって、どのような影響を与えたのだろうか。そのようなものが無くても、「天皇現人神」主義は成立したのだろうか、興味ある研究の題目であると思う。
なお、折口信夫の全集の中で、戦後の講演で天皇崇拝に関してナチズムの影響もあったようにごく短く触れているものがあるが、それ以外に天皇現人神説とナチズムの関係を論じたものは自分の読書に限れば見たことがない。
戦後に西ドイツはランデス・キルヒェという、ゆるやかな国教会制度を採用した。そうして牧師はすべて高給の上級国家公務員とし、国立大学の神学部を卒業し、苛酷(かこく)な試験に合格せねば牧師になれないようにした。この制度のために、礼拝説教の内容が現実の問題に苦しむ民衆から遠くなったのは当然であった。もっとも宣教師として、外国伝道の経験が十数年あると、この試験なしで牧師になれる道があるらしい。
カトリック教会は、独自の教職者制度と養成機関を持っているので、国家による牧師養成を利用していないようである。クリスチャンを自認する者は税の申告の時にそう記入し、自分の税の中からある割合で教会に回すように指定する。その時、福音教会(プロテスタント)に行くのか、カトリック教会に行くのかを指定するようになっているという。
ドイツは、このようにキリスト教を保護し強化することによって、ナチズムなどの新興の宗教運動を抑えようとした。しかし、このような保護は逆にドイツの教会の衰退を招いてしまったようである。
また、牧師養成を受け持つのは国立大学であって、そのため神学部に対して教会の側からの発言権が少ない。大学では、伝道のための訓練というよりは、キリスト教信仰の分析にもっぱら興味が移り、その分析が破壊的なほど良心的であるような気分が充溢(じゅういつ)している。
総じてドイツのルーテル国教会は、伝えるべきメッセージを失ってしまっているようである。
2004年4月28日付の読売新聞(13版)によると、ドイツのルーテル国教会の3分の1が経済的に行き詰まって閉鎖、壊して駐車場になるものがあり、またそのままで銀行になるものがあり、「祈りの家」が今や「両替商」に占領されてしまった、などと報じられている。
なお、ニーチェについてであるが、日本では明治以後ニーチェ全集が12種類出版されている。つまり10以上の出版社がそれぞれ別の翻訳者を使い、全集を出しているのである。
世界で、これだけニーチェに入れ揚げ、12種類の翻訳が出版されている国など他に無いであろう。また、過去に日本人がこれだけ意識し、10以上の出版社が計12種類もの全集を出版したなどという哲学者は他にはいないのである。
なるほど、現在の日本社会では、ニーチェと言われても誰の事だか分からない人も多いだろう。言わば忘れられている存在である。だが、日本人とは何かという問いに答えるものが、この哲学者にはあるような気がする。
先年、ともかく全集を買ったのであり、いつか読まねばならないと思っているものの1つである。小学生の時は分からず、今でも分かる自信はない。チラと目を通すとワグナーの悪口が書いてあって、それはそれで同感したのであるが・・・。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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