古来、中国では各地に王がおり、それらの王たちを統合するものとして「皇」 がいたが、皇には泰皇、天皇、地皇の3つの階級があり、天皇は3つの階級のうちの真ん中であった。
秦の始皇帝は、歴史上初めて中国全土の統一という偉業を成し遂げた。そこで称号をどうするか、ということになり、学者たちは最高の「泰皇」を使用するように進言した。
ところが、彼はそれが気に入らず、中国の全土を治める王者は自分が初めてであるので、泰皇でも不足であると言い、自分で「皇帝」という呼称を作ったと『十八史略』にある。もともと三皇五帝といわれる古代の理想の帝王伝説があり、それから取ったらしい。
それで諸民俗、諸国を一括して統治するものに、皇帝、泰皇、天皇、地皇という4つのランクができた。それらの下にいて、地域を治めるのが王ということになる。
古代の使用では『日本書紀』の中に隋への国書に「東天皇敬白西皇帝」とあり、 これが日本における「天皇」という文字の使用の初めである。中国に対しては最高級の「皇帝」を使用し、日本側は2階級下がって謙譲の念を表現して「天皇」を使用していることが分かる。
ずっと後になって、日露戦争において功績のあった兵士へ明治天皇から出された「感状」には「大日本国皇帝」とあり、その頃、日本でも皇帝の称号を使おうとしたことが分かる。これは後になって2ランク落として「天皇」に戻ったようである。明治の中期までは「皇帝」を使ったが、やがて遠慮して古来からの呼称である「天皇」に戻ったということなのだろうか。
ちなみに朝鮮王は中国より直接の冊封(さくほう)、つまり任命は受けていなかったが、それでも李王朝の創始者は国名について明に伺いを立て、明から「朝鮮」か「和寧」のどちらかを使うように言われ、朝鮮を選び「朝鮮王」の呼称を許された。中国の皇帝の下で一地域を統治する「王」つまり諸侯の1人ということである。朝貢国でもない日本が(だから、朝鮮よりレベルが低い!)、それが天皇を名乗るとは朝鮮の感情からは許せない。だから、今でも韓国の新聞等では「天皇」は使わず「日王」と呼ぶ。
天皇というのは、明らかに天的、超自然的なものを標榜する呼称である。だから、クリスチャンはこの称号を使うべきでない、これを使うと偶像礼拝になるという議論もある。なるほど、この称号が現代になって不幸な使われ方をしたのは事実だが、この語の歴史的な使用の状況を見ると、そういう議論は成立しないように思う。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
*
【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇