儒教は「礼を行う」ことによって社会が治まる、とした。礼は最高の善である。礼のうちで先祖の祭りは最大の要素で、それをチャンとやらない政府は倒れる。
政府が倒れるのは真理を行っていなかったからで、それも先祖の祭りに落ち度があったからである。政府を倒した者は忠実に「礼を行」ったので、それで成功したのである。王朝の交代は、そういう事情で起こるので、王朝を倒した側は歴史を書き直す。歴史の「書き直し」は勝者の義務である。 勝者のみが、真理を持っているからである。儒教哲学の当然の帰結である。
第2次大戦で日本は敗者であり、中国も韓国も勝者である。だから、勝者の2国は歴史を決定する権利がある。
南京事件の歴史もそうであって、中国側にはこれを書く権利がある。そこで日本軍によって30万人の虐殺があったという。問題はその大量虐殺の死体の墓はどこかということである。遺体の処理というものは数日間のうちに行わねばならず、悠長なことはできない。多数の人手を動員せねばならない。30万人の遺体を埋葬するのであるから少なくとも数千人が従事しただろうから、場所はすぐ確定できるだろう。
ところが、それがハッキリしていない。日本側からの共同調査の申し入れは拒絶される。日本は敗者であるから真理を持たないのである。
ポーランドのカチンの森の大虐殺は、戦後数十年たってポーランド将校の1万の遺体が発見されて明らかになった。1万人分であっても、衛星国への締め付けがわずかでも緩むと、隠しておけない。1万人分の人間の死体は、隠し通せるものでない。当たり前である。南京事件の遺体の埋葬跡は戦後半世紀たっても明白でない。それが確定されることが先決だろう。
もっとも、南京大虐殺は中国側でなく、アメリカが描いたシナリオかもしれない。南京陥落は、1937(昭和12)年である。蒋介石政府は国際連盟に日本に対する抗議、批判をさまざま申し立てたが、それらの中には、「30万人の虐殺」は議事には入っていない。
日本は、1935(昭和8)年に国際連盟を脱退していた。国際連盟の会議の席上では中国政府による日本の糾弾は自由に行われ得た。日本側は不在で弁護も反論もできない。日本を攻撃するには、絶好のチャンスである。ところが、南京大虐殺は議題になっていない!
それが1946(昭和21)年に初めて、東京裁判で南京虐殺が出て来た。これはミステリーである。
しかも東京裁判では南京虐殺は立証されなかった。一番重要な証人は、マギー牧師という人だった。彼は当時市内を自由に動き回る許可を与えられていたからである。彼の証言は大量の虐殺があった、というものであった。しかし、すべて他人から聞いた情報であった。
彼自身の目撃例を尋ねられると、彼は正直に1件だけと答えた。日本兵に誰何(すいか)され、答えずに逃げ出した男を撃ったのを目撃した、その1度だけだった。
1937(昭和12)年の南京陥落時には、外国のジャーナリズムも入っていたのである。南京城壁の中は世田谷区より狭いという。渡部昇一は米誌「タイム」の戦前の号を全部調べたが、南京虐殺の記事はなく、むしろ日本軍の占領政策を褒めている記事があった、と言っている。(渡部昇一『渡部昇一の昭和史』ワック社)
2、3年前に中国系米人の女性が南京虐殺について本を書いてベストセラーになったが、漢字が読めず英語の資料だけを参照していることが分かり、問題にされなくなった。日本語訳はない。(Iris Chang,Rape ofNanking,Basic Books)
なお、シーメンス南京支社長であったジョン・ラーベは(『南京の真実』エルヴィン・ヴイッケルト編、平野郷子訳、講談社)で、日本軍兵士の野獣のごとき数々の婦女暴行、略奪の現場を目撃し、怒りをもって日記に記述している。
この時、彼は米人宣教師のマギー牧師などと共に、南京に安全地区を設け、主として欧米人また中国人の避難者をその一画に収容していた。
彼はドイツ政府に南京の状況を報告して、 蒋介石政府は犠牲者が10万と言っているが多すぎる。自分たちは5、6万と考えている、と言っている。
戦後、彼は東京裁判に出て証言するように求められたが、戦争には残虐なことはつきものであるし、犯罪人は自国民が裁くべきであると言って、出席しなかった。韓国についても同様なことが言える。韓国は勝利者であるので、歴史を書く権利がある。日本にはない。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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