ポーランド人修道士のゼノ・ゼブロフスキー(通称:ゼノさん)とカトリック信者の北原怜子(さとこ)さんの献身的な働きを紹介する「ゼノさんと北原怜子さんとアリの街写真資料展」が、東京都台東区の台東地区センター・いきいきプラザで21日から23日まで開催中だ。
2人が活動した「アリの街」とは、現在の隅田公園(東京都墨田区)で、戦火のために家や家族を失った人々が肩を寄せ合い、廃品回収をなりわいとしながら暮らしていた街のこと。1950年から、深川8号埋め立て地(現在の潮見)に移転するまでの10年間存続し、多くの人がここで戦後の苦しみを耐え忍んできた。
ゼノさんは30年、マキシミリアノ・コルベ神父(アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなった「アウシュビッツの聖者」)らと共に来日し、戦後は特に「アリの街」で戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に尽くした。ゼノさんが貧困にあえぐ子どもたちにパンや薬、洋服を配る姿や、子どもたちと一緒にかけっこなどをして遊ぶ様子が写真には収められている。
一方、北原さんは、由緒正しい家柄に生まれ、何不自由ない暮らしをしていたが、20歳で洗礼を受けて間もない50年、ゼノさんとの出会いをきっかけに、自らアリの街に住んで、子どもたちや貧者への奉仕にあたるようになった。修道女になる希望を持っていたが、肺結核に倒れて断念した直後のことだった。その後、28歳で帰天するまで、病魔と闘いながらも、アリの街の子どもたちに無償の愛を注いできた。2015年には、教皇庁列聖省より「尊者」(最終的に聖人と認められるまで、神のしもべ、尊者、福者という段階をへる)として認められている。
主催者の1人、北畠啓行さんは同展開催のきっかけをこう話す。
「私は東京都台東区で生まれ育ちました。しかし、このアリの街のことはあまりよく知らなかったのです。今回、写真を提供してくださった石飛仁先生の著書『風の使者ゼノ』を偶然手に取り、自分の生まれ育った土地にこのような歴史があることに衝撃を受け、これを後世に伝えていかなければと思いました。さっそく石飛先生にお会いしたところ、先生が当時、取材をされた時に多くの写真を撮られたと聞きました。これを写真展にして、皆さんに公開したいと話したら、快く了承してくださり、今回の展示になったわけです。たった4カ月ほど前のことです」
初日の21日、ボランティアのために宇都宮から来たカトリック信徒の女性は、写真という共通の趣味を通して北畠さんと知り合ったという。「ゼノさんを突き動かしていたものは、人々への愛と信仰だと思う。現代に生きる私たちも見習わなければならないことばかり」
石飛氏も来場しており、写真の説明などに応じていた。石飛氏は週刊誌の記者時代、ゼノさんとアリの街のことを知り、全国を飛び回って取材を重ねてきた。石飛氏はこう語る。
「空襲で焼け野原になり、ある意味、汚くて恐ろしいところになってしまった東京に、突然ポツンと現れた共同体がアリの街でした。そこで北原さんはまずクリスマスのイベントを企画して、それが大成功を収めたらしいのです。これがもし労働者たちに受け入れられなかったら、『なんだかうさんくさいキリスト教の人たちが入り込んできたぞ』といったうわさで終わってしまっていたでしょう。しかし、北原さんは本当に献身的に子どもたちに仕えたのです。無償でピアノを教えたり、教会学校のようなものを作って子どもたちを招いたりしていたのですね。こうした『人のやさしさ』というか『人としての当たり前の空気』に、当時の人々、特にここの労働者たちは飢えていたのでしょう。一方、ゼノさんは何をしたかと言えば、子どもたちにパンをあげた人なのです。何か大きな教会を建てたとか、大きな実績を上げた人ではありません。しかし、『滅私奉公』というのでしょうか。自分のためではなく、何かもっと別の大切なことのために働くということを私たちに教えてくれています」
石飛氏は、ゼノさんに世話になった当時の少年らを探し出し、晩年のゼノさんと再会させている。懐かしい恩師に会ったような青年たちの輝く笑顔と、ゼノさんの愛にあふれたほほ笑みを石飛氏はカメラでとらえ、今回の写真展にも展示している。
写真展は、いきいきプラザで23日(日)まで(午前10時~午後6時)。22日(土)には、午前11時と午後2時からの2回(約30分を予定)、写真展内スペースで石飛氏による「アリの街トークショー」(予約不要、自由参加)も開催される。また今年11月12日(日)には、東上野区民館で石飛氏の講演会も予定されている。詳しくはフェイスブックを。