社会福祉法人カリヨン子どもセンター(東京都文京区)は、「今夜帰る場所がない」といった子どもたちのシェルター(緊急避難場所)として、全国に先駆け、2004年にオープンした。以来、13年間で利用者の数は延べ330人を超える。その多くは14歳から19歳の女子だ。現在では15都道府県ですでにシェルターが設置、あるいはその準備が進んでいる。
同法人理事長の坪井節子さんが18日、「CAPなのはな」(千葉県柏市)主催による講演会で講壇に立った。クリスチャンの弁護士でもある坪井さんは、『子どもたちに寄り添う』(いのちのことば社)などの著者としても知られている。
当初は軽い考えで子どもの人権救済活動に関わったという坪井さん。しかし、「子どもの人権相談」にかかってくる電話は、今まで聞いたことのないような暗闇の世界からの声だった。
「私は大人であり、弁護士でもある。なんとか今すぐ、この電話の向こうにいるこの子に解決策を出してあげなければ・・・」
そう思えば思うほど、どうしてよいか分からなくなる。子どもたちの悲痛な叫び声は、坪井さんの心に重くのしかかった。無力な自分に失望し、過酷な現実を生きる子どもたちを見るのがつらくなってきた。
「もうやめよう。私には無理だ」
何度もそう思いつつも、こうした活動を30年近く続けてこられたのは、周りにいる仲間たちと、電話をかけてくる子どもたちの存在があったからだと坪井さんは語る。
「いじめ」という言葉が世間に知れ渡るようになってから今まで、「いじめが減った」「増えた」という報道がされているが、坪井さんによると、「子どもたちの苦しみは今も昔も全く変わっていない。人権救済の現場も何ら変わりはない」という。
講演の中で坪井さんは、ある男子生徒の例を挙げた。
彼は有名私立の中高一貫校に通う中学3年生だった。親の期待に応えるべく、一生懸命勉強をした。念願の学校に合格すると、「これでやっといいことが待っているに違いない」と思ったという。
しかし入学式の翌日、担任教師が発した一言に愕然(がくぜん)とする。
「1点でも多く取れ。1つでも偏差値を上げるんだ」
彼は「また同じことの繰り返しだ」と目の前が暗くなったという。
さらに、ギスギスとした人間関係の中、中学1年の中盤から凄まじいいじめがクラス内で横行するようになった。
いつ何時、誰がいじめられるか分からない。毎日、そのターゲットは変わっていった。それでも最初のうちは皆、担任に相談に行った。しかし、「先生は中立だから」と取り合ってくれなかったという。
「いじめというのは、圧倒的多数の子どもがひとりぼっちの子に嫌がらせをすること。絶対勝ち目のない関係の中で、先生の言う『中立』とはどういう意味でしょうか。いじめられている子は、先生がこの言葉を口にしたとたん、先生もいじめに加担していると思っても仕方がない」と坪井さん。
くだんの男子生徒はいじめられないよう、時にはいじめる側に回って自分の身を守るようになっていた。
しかし、中学3年を迎えたある日、学校へ行くと、教室の雰囲気ががらっと変わっていた。昨日まで一緒に遊んでいた友だちが、返事もしてくれない。自分の周りでヒソヒソと話をするが、自分を話の輪の中に入れてくれることはなかった。
嫌いなテレビ番組を見て、友だちの話題に入れるようにした。興味のないマンガも毎月買って読んだ。3カ月間、彼なりに必死に頑張った。しかし、ある朝突然、体が動かなくなった。
「もう学校へは行けない」
彼がいじめにあっていた間、両親は息子がどんな苦しみを味わってきたか知ることはなかった。親に心配をかけまいと、いじめられていることを話すことはなかったからだ。
しかし、この日初めて、「僕、学校で少しいじめられてるんだよ。だから、今日は学校に行きたくないんだ」と勇気を出して告白した。ところが、母親の返事はこうだった。
「何を言ってるの! みんな学校に行ってるじゃない。あなたが弱いから、いじめられるのよ。もっと強くなりなさい」
彼は絶望し、心の中で何もかもが崩れていった。自殺するための薬を、小遣いを貯めて購入。多量に服用し、意識朦朧(もうろう)としているところを両親が見つけ、救急車で病院へ搬送された。一命をとりとめた息子に母親はこう声を掛けたという。
「もう学校なんて行かなくていい。生きていてさえくれれば、それでいい」
この言葉に、男子生徒はもう1度生きる希望を見いだし、前を向くことができたのだ。
男子生徒は後に坪井さんにこのように告げたという。
「『死ぬ勇気があるなら、いじめに立ち向かえ』と大人たちは言う。でも、死ぬのに勇気なんていらない。毎日、毎日、地獄のような場所にいるよりは、死ぬ方がよっぽど楽なんだよ。この苦しみを打ち明けることさえ許されない。手も差し伸べてくれない大人が、どうしてそんな無責任なことを言うのか、僕には分からない。でも、子どもの話にこんなに一生懸命耳を傾けてくれる大人がいるなんて、僕は思わなかった。坪井先生が初めてだよ」
それ以後、坪井さんは考え方が変わった。こんなに傷ついている子どもたちに、すぐに効くような処方箋を出してあげられなくても、彼らをひとりぼっちにしないこと、その悲痛な叫びに耳を傾けること、一生懸命オロオロしながらも道を探すことはできると。
相談の電話は、いじめに悩む子どもからだけではない。彼らは、最終的に親が気付き、親が支えることで前進することができる。しかし、一番愛されるはずの親から虐待を受けている子どもからの相談はもっと壮絶だ。身一つで逃げてくる彼らをその日から支えていかなければならない。
「さまざまな相談を受ける中で、もう八方を塞がれてしまって、どうにもならない状況になる時もある。『神様、助けてください』と祈る時なんて日常茶飯事。でも、だからこそ、子どもたちに寄り添うことを諦めずに続けていきたい」と坪井さんは力強く語った。
カリヨン子どもセンターでは寄付の受付もしている。詳しくはホームページを。