以前、NHKのテレビでハンセン病のために瀬戸内海の大島青松園に隔離された姉と、その弟の半生をドキュメンタリーで放映しておりました。その姉というのは高知の人であって、まだ若い時に発症し、大島青松園に隔離されました。彼女には多くの兄弟姉妹がいましたが、全員が地元におれなくて県外に出て行ったということです。1人の弟だけが生涯、姉のことを気遣い、毎月訪問を欠かさずこの島に通い続けました。その姉がすでに病気を完治しても、社会の偏見のために故郷に帰って来ることができず、召されるまでこの療養所に留まりました。
その姉のたった1つの願いは、死後、両親の墓に自分の遺骨を埋葬してほしいというものでした。弟は、残された家族親族を説得してやっとのことで、姉の願いを成就しました。なんという悲しいことでしょうか。ハンセン病という病気になったばかりに、本人は一生涯離島に隔離され、家族は離散し、両親の墓に入ることだけが唯一の希望にならねばならないとは。
ハンセン病というものの知識がないために社会の偏見と差別にさらされ、恐れられ、家族からも見捨てられ、世間から忘れ去られ、世界の片隅で静かに死んでいかなければならないという人生がどういうものであるのか、本人や当事者でなければ決して分かることができません。
私たちは知らず知らずのうちに、さまざまな偏見や誤解を持ったまま人々と距離を置いて生きています。そのために、この世界には悲惨な争いや差別が絶えることがありません。イスラエルとガザとの不信と非難の負の連鎖、ウクライナとロシアの争い、そのために生じる世界各国の関係のこじれ、いずれも問題の根は偏見や誤解から生まれた負の連鎖が、いつの間にか紛争にまで発展していったものでしょう。
1つだけ光のようなものを感じたのは、宇宙ステーションで船長を務め、日本に帰国された若田光一さんが、記者から質問を受けたときの返答であります。宇宙ステーションにはアメリカやロシアをはじめ、いろんな国の飛行士が一緒に生活しているが、地球での政治的な対立が飛行士たちの人間関係に影響を与えたか、という質問に対して、「私たちは地球の未来のために心を合わせて働いていますから、そのような影響は受けたことがありません」という答えです。いつになったら私たちは、偏見や誤解から解き放たれて、大きな心で生きることができるのでしょうか。
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