皆さんと同じように、私の人生の中でもかけがえのない影響を与えてくれた書物が幾つかあります。その1つは、マルティン・ブーバーというユダヤ人の哲学者の著した『我と汝』(邦訳:孤独と愛―我と汝の問題―野口啓祐訳・創文社)です。哲学者というのは、私たちの考えを整理してくれる人々ですね。漠然と感じていたことをブーバーは整理してくれました。実はこの書物を通じて、私はキリスト教の世界に近づけられたと思います。
ブーバーによると、この世界は「我とそれ」という関係と「我と汝」という2つの関係で成り立っている、と説明します。「我とそれ」というときの関係は非人格的な関係であって、そこには愛の絆はありません。効率的な利益上の関係はあっても、「それ」に対する「我」は愛の喜びも苦しみも感じることはありません。「我とそれ」の関係で生きている限り、生きる意味も生まれてきません。
そして、「それ」というのは事物に限らず、人でも「それ」になり得るということです。人と私の関係が利害関係であったり、単なる雇用関係であったり、便宜上の関係であったりする限りにおいて、その「人」は「我」にとって「それ」にすぎず、そこには人格的なものはありません。
しかし、この世界には「我と汝」というもう1つの関係があります。この場合の「汝」とは「我」にとって人格的な結びつきがあって、「汝」の喜びは「我」の喜びであり、「汝」の苦しみは「我」の苦しみでもあるという、特別な結びつきであります。そして、この場合の「汝」とは、人の場合もあれば事物の場合もあります。
生きるということは、このような「我と汝」という人格的な結びつきを大切に育て上げていくことであり、そこに生きる意味があり、喜びがあり、愛がある、という思想であります。
私たちは「我とそれ」の世界と「我と汝」の世界の両方の中で生きていると思います。両方の世界を必要としていると思われます。しかし、「我と汝」の世界を大切に育て上げていくという意識的な努力の中でのみ、私たちは生きがいを見いだし、人生の目標を見いだし、生きる意味を見いだしていくのだと、ブーバーは私に教えてくれました。その努力なしには、世界は私にとって「我とそれ」のむなしい非人格的ないのちのない関係になってしまいます。
ブーバーの思想が、私を精神の世界に目覚めさせてくれて、後にキリストとの関係の中に「我と汝」を見いだすこととなりました。
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