数年前、佐世保市の高校1年生が同級生に殺害された事件を覚えていらっしゃることでしょう。新聞の報道によると殺人容疑で逮捕された女子生徒(当時16歳)は「人を殺してみたかった」「遺体を解体してみたかった」という趣旨の供述をしていたらしいです。
過去において猫を解剖したことがあって、人の解剖もしてみたかった、とも述べているらしいです。また、小学6年生の時に、嫌な同級生の給食の中に漂白剤を入れたことがあることも判明したそうです。
さらには、父親を金属バットで殴って大けがを負わせたこともある、ということです。この女子生徒は成績優秀な子であったというのです。
彼女は、母親が亡くなってすぐに父親が再婚し、家を出て1人でマンション暮らしを始めたそうです。そして、学校には入学式を含めて今年度は3日しか出席していなかったとのこと。学校の担任の教師が毎週彼女を訪問して一緒に食事をしていたという報道もありました。
一体何がどうなっているのか、どうしてこのような子どもや大人が次々と私たちの社会に出てくるのか。「人を殺してみたかった」「誰でもよかった」と言ってたまたまそこにいる人を殺す人が、どうしてこのように増えてきたのでしょう。
さまざまな要因が考えられることでしょう。親子関係が愛情で満ちているのだろうか。自然に触れて成長しているのだろうか。人の痛みや苦しみが分かるような経験をしているのだろうか。
感情を抑えることを学んできたのだろうか。腹心の友というような友達がいたのだろうか。良い教師に巡り合ったのだろうか。人の親切を受けて感謝の心を感じてきたのだろうか。
現代の社会がバーチャルな世界になっていて、コンピューター化した疑似世界の中で子どもたちが成長していくために、人の痛みや苦しみ、愛や親切などを直接体験することが希薄になっていて、現実の世界と疑似世界との区別がつかなくなってきているのだろうか、と思ったりします。
キリストがもたらしてくださる愛と赦(ゆる)しの中で、祈りと聖書と礼拝のある家庭が、実は、子どもの健全な成長に欠かせないものだと思われてなりません。
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