同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)主催の講演会が25日、同大今出川キャンパスで開催された。タイトルは「トランプ大統領のアメリカと保守的キリスト教」。同大グローバルスタディーズ研究科教授のギャビン・ジェームズ・キャンベル氏が講演した。
キャンベル氏は、コーネル大学からノースカロライナ大学チャペルヒル校を経て、博士号を取得している。専門は米国史、特に米国宗教史である。奥様が日本人ということで、ご本人も日本語は堪能だが、今回の講義はほぼ英語で行われた。
会場は通常の教室であったため、入りきれないほどの参加者が集まることになった。来てみて驚いたのは、その年齢層の幅広さである。学生はもちろんのこと、白髪の紳士、淑女方がかなり来会しておられた。そして皆、英語で質疑応答をしていたのが次の驚き。確実に世はグローバル化していると感じさせられた。
講演はおよそ1時間。その後に質疑応答が30分程度あった。皆真剣に聞き、そしてプロジェクターのスライドを写真に収める者が数多くいた(筆者もその1人)。スライドだけに留まらず、ユーチューブの動画を駆使しながら、直近のニュースまでフォローされていた。
トランプ大統領がローマ教皇と面会したという最もホットなトピックス(25日当時)まで紹介されていたのには驚いた。数字やデータのみならず、実際に米国福音派の重鎮、リーダーたちが講壇から語った映像は、私たちに大きなインパクトを与える。
キャンベル氏が提示した問いは、「なぜ白人福音派の81パーセントがトランプに投票したのか」ということ。これをひもとくために彼が用いたリサーチソースは、ピュー研究所のデータとライフウェイ研究所の2つである。特に後者のライフウェイは発足が米国では最も古く、信頼のおけるキリスト教文書伝道団体である。私もその本部に何度か訪れたことがある。
講演内容は、トランプ政権発足後に行われたアンケート調査に基づき、まずは半年前の大統領選挙を振り返るところから始まった。今だからいろいろ分かることだが、やはり候補者選択の基準となったのは経済問題、国家安全保障の問題であったようだ。白人系福音派ですら、中絶問題や同性愛問題よりも、経済と安全保障への懸念が大きく存在していたことが分かる。その視点から見ると、ヒラリー氏のメール問題がいかに大きな痛手であったかが分かる。
さらにキャンベル氏は、「福音派は決して一枚岩ではない」として、当初から熱烈にトランプ支持を訴えていたジェリー・ファルウェルJr.を紹介した。彼は自身が経営するリバティ大学でもこのことを公言し、学生たちに感化を与えている。一方、これに反対するのがアフリカ系米国人のウィリアム・バーバー(William Barber)牧師。両者の動画、スライドを見せながら、キャンベル氏はトランプ大統領を「なぜ支持するか、逆になぜ支持しないか」を詳(つまび)らかにしていった。
さらに、大きなトピックスとして、米国最大の教派であるサザン・バプテストの若きリーダー、ラッセル・ムーア(Russell Moore)氏を取り上げた。彼は選挙中からトランプ氏を批判した急先鋒の1人であった。大統領選挙後に今までの辛辣(しんらつ)な言い回しを謝罪してはいる。しかし、キャンベル氏はこう語る。「ムーア氏の言動は、若者たちが政治家への信頼を失いつつあり、それに伴って『福音派』が世代別に分裂する危機に陥っていることを示している」。大いに教えられる内容である。
講演の内容はおおむね、筆者が今までクリスチャントゥデイ紙で発表してきたことから大きく逸脱するものではなかった。同じ内容に関心を持ち、追究してきた者として、自分の考察があながち的外れではなかったことを確認できたことはうれしいが、やはり統計のみに頼って考察することの限界も同時に感じられた。
例えば、経済の問題が大統領選挙に大きく影響を与えていることは皆認めているが、おのおのの研究者が用いるデータソースが異なっていると、そこから見えてくる結果もおのずと多様性を帯びることになる。だから、研究者の数だけ結論があることになる。
「トランプを支えたのは、白人の高卒ブルーカラー層である」という言説がある。これを肯定する経済学者、国際政治学者がいる一方、(キャンベル氏もそうだが)思想史研究者たちはそれを大きな要因としては認めていない。また、用いるデータも違っていて、その解釈も種々様々である。
データは客観的であり、公平である。そういった意味で文化史や思想史よりも信頼が置けるともいえる。だが一方で、数字で示されてしまうだけに、その背後に存在する「人間の主観的な行動原理の集積」を見落としてしまうことになる。
すぐに解答にたどり着けないもどかしさはあるだろうが、10年後、20年後に「歴史化」された出来事として2016年の大統領選挙、そしてドナルド・トランプを扱うことができるということに、筆者は意義を見いだす者である。そしてそれこそが、歴史の荒波を乗り越えて存続する「出来事」となるはずである。
キャンベル氏の公開講座は、ちょうどその中間をいくものであり、大きな示唆を与えてくれるものであった。同志社大学、しかも一神教を学術的に研究しようという世界でも類を見ない研究機関で「福音派」が取り上げ続けられることの意味、それは大きなものであるということが言えよう。
会場には、イスラムの方も数人参加していた。彼らは熱心にメモを取り、質問していた。その横にキリスト教徒である私が座り、背後ではビデオ撮影をするユダヤ教研究者の方がいる。一見不思議な空間であるが、この多様性を認める姿勢こそ、今の世界に求められていることなのかもしれない。「異教徒」ではなく、同じく真摯(しんし)に研究に打ち込む「仲間」がそこには存在していたのである。
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