「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)
スポーツ競技に参加した方が話しておられたのですが、力を尽くして走ってきて倒れそうになるけれども、観衆の大声援に包まれたとき、もう1度立ち上がり、競技を続けることができたそうです。ヘブル書の著者も古代オリンピア競技を自分の目で見て、特別な熱気を感じ取ったのかもしれません。
「証人」という言葉を「応援者」に置き換えてヘブル書を読んでみると、とても大きな励ましを感じました。私が今まで接して、声を掛けてくださった人々、祈りのうちに覚えてくださっている人々、先に天国に召された信仰の先輩者、亡くなった私の両親、祖父母、いつも優しく励ましてくれた近所のおばさん。これらの人々は「頑張れ」と声援を送り続けていると思います。
芸能界やスポーツ界で活躍する人が遠い親戚だと分かり、また同じ地元ということが分かると、声援にも一段と力が入ります。自分の身内の子どもが運動会で走り、舞台の発表会に出ていると、必ずしもセンターにいなくても、そこにいるというだけで声援してしまいます。
キリスト教でも「先祖供養」を学ばないといけないと言う牧師がいて、びっくりしたことがあります。しかし、よく聞いてみると、自分のルーツを知ること、先祖の働きに感謝すること、自分の存在に感謝すること、そして「私は今、幸福に生きています。私は今、前向きに生きています。私は喜んでいます。感謝します」と宣言することが「先祖供養」だというのです。旧約聖書の「あなたの父と母を敬え」(出エジプト記20:12)は先祖供養につながるというのです。
アメリカの信仰の友人がメッセージを送ってくれました。
“Someone is thinking of you a big smile on their face. They are believing in you with all that that is with them. They see the best in you, and not so best and they love you anyway! They love you enough to put a stop to a plan you may have – only because they have a much better plan! He clears roadblocks from you every day – some you may notice, others you most likely won’t. So when you walk by a mirror, be sure to look at that incredible reflection and say…”Hey…You are loved!!!!” On another note, it is always good to notice good in others – after all. God sure does.”
「誰かが、満面の笑みを浮かべてあなたのことを思っています。彼らは、すべてあなたが彼らと共にあると信じています。彼らは、あなたを愛しています。彼らは、あなたのことを愛していて、あなたがやろうとすることをやめさせるかもしれません。なぜなら、もっと良い計画を知っているからです。あなたが気付いても気付かなくても、神は、毎日、道端の岩の固まりを取り除いてくださいます。鏡の前を通ったとき、そこに映っている自分の姿は不信仰な姿かもしれません。だから、このように呼び掛けてください。『おい、あなたは愛されているよ』。もうひと言申し添えるなら、いつも他の人々の良い面に気付くことはとても素晴らしいことです。神は必ず約束を守ってくださいます」
試練に直面しているとき、悩み事で心がいっぱいのときは、孤独感に陥り、どうしようもない寂しさに襲われることがあります。しかし、どんな時にも誰かが自分のために祈ってくれているし、神は働いておられるということを忘れてはいけないと思います。
「それゆえ、主は あなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は」(イザヤ30:18)
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