「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)
最近、坂道を歩くと息切れがします。細かい字が読みづらくなり、新聞を読み、辞書を利用するのがおっくうになります。ドクターに相談したら、「自然現象です」と答えられました。肉体の衰えは誰にでもやってきますし、避けることはできません。肉体の衰えに反比例するのが霊的な恵みです。日々霊的に新しくされ、一歩ずつ、主のみもとに近づいていると思えばとても喜ばしくなります。
あるドクターは「うつ病」の研究をしていました。「うつは治るか、治らないかとよく聞かれるが、元の状態に戻すことが治るのであれば、うつは治らない病気です。前の状態に戻ることはありませんが、前よりも良くなります。苦しんだ分だけ、他の人に優しくなります」と話していました。だから、最近、「うつは治る」という表現ではなく「脱うつ」という言葉が用いられているようです。
周りの風景も人間関係も同じように見えて、同じではないと思います。神様が働きかけてくださっていますので、変化しています。
アメリカの信仰の友人がメッセージを送ってくれました。
“Instead of living in the grip of fear, held captive by the chains of tension with worry completely to God, what do we find? We find God’s hand busily at work on our behalf. He comes to our aid, changing people relieving tension, altering difficult circumstances. If we practice giving our mental burdens to God, we will then be able to see how He will handle the things that are impossible for us do anything about. That means putting our complete trust in Him.”
「緊張と不安に支配されて、連続する恐れの中で生きるのではなく、心配事や思い煩いから解放され、神様に委ねてみれば、何が見いだせるのでしょうか。神の御手が私たちのためにせっせと働いているのが分かります。神様は私たちの力になってくださり、人々を変えて、緊張を軽減させ、難しい環境を変えてくださっています。もし私たちが自分の重荷を神様に委ねることを実践すれば、自分ではとてもできないと思えるようなこともできるようになることが示されます。それは、神様を全面的に信頼しなさいという意味なのです」
「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ43:19)
日々押し寄せる生活の不安の中で、押しつぶされそうになり、脱出したくても、もがけばもがくほどアリ地獄に落ち込んでいくような心境になることがありますが、霊的な目を開いてみれば、神の御手が差し伸べられているのが見えます。
宇宙の真理や地球の歴史など、人類は、知らなければならない知識の1パーセントしかまだ解明していないと語った学者がいます。私たち自身が理解しているのは、その1パーセントの中の1パーセントにすぎないと思います。はっきりと言えば、何も分かっていないというのが正解かもしれません。その乏しい知識と過去の経験から、「もうだめだ」という結論に達したら、せっかく手を差し伸べてくださる神様に申し訳ないと思います。
目の前に立つ山がどんなに険しくても、神様ははるかに偉大な方ですから、必ず荒野に道を開き、荒地に川を設けられることを信じたいと思います。今日と明日は同じではないのです。明日になれば、状況が変わっていることを信じます。
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、また、キリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ3:19~21)
◇