「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された」(ルカ18:1)
野球の世界大会WBCが開催されました。日本は惜しくも準決勝で米国に惜敗しましたが、メジャーリーガー相手に堂々と戦っている姿は頼もしかったです。今回のWBCで印象的だったのは、日本とイスラエルの試合だったと思います。8回まで8対0とリードされているのに、イスラエルの選手の闘志はなくなることはなく、最後まで諦めない姿勢に多くの人が感銘を受けていました。そして、9回で3点取り、リードしていた日本を慌てさせていました。
イスラエルチームの監督が試合後のインタビューで、「シャワーを浴びてリフレッシュすれば、負けを引きずらないで、気持ちを切り替えられます」と話していました。これはユダヤ式禊(みそ)ぎを意味しているのかなあと受け取ったのは私だけでしょうか。
古い言い伝えに中国の故事に由来する「万事休す」というのがありますが、「何もかも終わり、今更何をしてもだめだ、もうだめだ」という意味があるそうです。この「休す」というのは「全て収まる」という意味があるといわれています。
また、日本の中世の言葉で「土壇場」というのがあります。首切りの刑を行うために土の壇を築き、前に穴を掘った状態で、物事の切羽詰まった様子、もはや施す手段がなく、万策尽きて追い詰められ、何をしてもだめだという状況を表しているようです。
私の信仰の歩みの中では、「万事休す」、もはや「土壇場」としか言いようのない状況に直面することもありますが、その都度、主なる神が御手を差し伸べてくださり、危機を脱することができました。それは1度や2度ではなく、幾度となく体験させていただいたのは、神の恵みであり、ただ感謝あるのみです。
切羽詰まった状況にあるときは、呼吸が正しくできていなくて、脳に酸素が回らず、祈りの言葉も出てこない状況ではないかと思います。このような時に、米国の信仰の友人がメッセージを送ってきました。祈る前に深呼吸を繰り返し、呼吸を整える大切さを教えられました。
「目覚めなさい。息を深く吸って、吐き出しなさい。これをもう一時しなさい。こうすれば、あなたの思いと感情を完全に入れ替えることができます。あなたの歩み、あなたの言葉、あなたの行動とあなた自身を案内してきた多くの導きがあります。神の御手をとり、神の導きに従いなさい。私はあなたを信じています」
私の体験から、マイナス思考に陥り、ネガティブな言葉を口にすれば、どんどん気持ちは落ち込んでいきます。神の言葉を信じ、前向きに考え、肯定的な言葉を口にすることで、心と魂は解放されていくと思います。
主イエスがゴルゴタの丘で十字架につけられたとき、2人の罪人も一緒でした。3本の十字架が立っていました。この2人の罪人は、法律に違反し、死刑になって当然と言えるような生き方をしてきました。このうちの1人はこの期に及んでイエスに悪口を言います。もう1人は悔い改めて、イエスに助けを求めることで奇跡が起きます。
「十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え』と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。』そして言った。『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。』イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』」(ルカ23:39~43)
主イエスは何1つ悪いことはなさらず、罪はなかったのに、中央の十字架に、罪人に挟まれるかたちでかけられました。イエスはまさしく私の身代わりとして十字架にかかってくださったと信じます。私が不信仰に陥るとき、神の前に罪を犯すたびに、時空を超えてキリストの十字架に重くのしかかっていくのではないかと思います。
受難節のこの時期に、キリストの十字架の救いに感謝し、神の恵みを思い起こすことができたら幸いです。聖書は土壇場の奇跡を教えています。どんな状況であっても道は開かれることを信じます。
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