私の母親は亡くなってから7年たちますが、時々母親の言葉を思い出します。私が子どもの頃は「大人になったら公務員になれ」と言うのが口癖でした。公務員でなかったら、大企業に就職するように勧められていました。
その期待を裏切り、神学校に行き、しかも小さな教派の貧乏牧師になってしまったものですから、失意落胆していました。英語が得意だったため、英語の先生か貿易関係の仕事をしてくれたらと期待されていましたので、親不孝をしてしまったと思っています。
大企業に就職できたら人生安泰かもしれないと思いますが、最近のニュースでは東証一部上場の企業の経営不振、大手電機メーカーの経営破綻などがあります。また、私は冠婚葬祭の仕事だったら、どんなに不況になっても必ず発注があるだろうと思っていましたが、結婚式を挙げずに入籍だけで一緒になるカップルが増えてブライダル不況といわれています。葬儀も小規模になり、家族葬が増え、葬儀を行わずに火葬場に直接行く直葬も増加し、葬儀のセレモニーの仕事も少なくなっています。この仕事だったら大丈夫と断言できるものはないと言っても過言ではないかもしれません。
「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしょう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」(ルカの福音書12:16~21)
世界一の大型客船ということで安心しても、舵を切り損ねることで氷山に衝突してしまうタイタニック号のような悲劇も起こります。企業も組織もリーダーの舵取りに命運がかかっています。
リーダーの慢心や高慢はとても危険です。真のリーダーシップは周りの人々への感謝の気持ち、自分を助けてくれた人への恩を忘れないこと、社会に仕える使命感が欠かせないと思います。
私は教会運営者としても、会社経営者としても失敗者です。弁解の余地はありません。このような私を見放すことなく見守っている家族がいます。また、忘れることなく祈り続けてくださっている祈りの友がいます。声を掛けてくれて、励ましてくれる友人がいます。人生の危機に手を差し伸べてくださる恩人がいらっしゃいます。また、私を価値ある存在として愛してくださっている神様がいらっしゃいます。私は「感謝します」と言うしかありません。
先日、ある方からメールを頂きました。人生に疲れ、生きるのがつらいという非常に切羽詰まった内容でした。私は祈りの友人たちから送られたメッセージを思い起こし、神の愛のメッセージを伝えました。何度かのやりとりの後、「神の愛に期待してみます」という返信がありました。
この方とのメールをやりとりしながら、私は自分の使命を思い起こされました。今まで多くの方々から受けた愛と思いやりをお返しするときだと思います。使徒ペテロがエルサレムの「美しの門」で語ったように、私には金銀はありません。しかし、神の愛のメッセージを伝えることはできます。
「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい』と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った」(使徒3:4~8)
私たちは小さな群れであり、小さな存在です。しかし、神様はその求めに応じて、神の国を与え、生きる力と喜びを与え、人生の意味を示してくださいます。感謝します。
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