日本ルーテル教団(NRK)は「宗教改革500年礼拝」を3日、東京ルーテル・センター教会礼拝堂(東京都千代田区)で行った。また今年は3年に1度持たれるNRK定期総会の年でもあり、「第17回定期総会派遣聖餐礼拝」も兼ねた。
この日、司式を務めたのは白井真樹(まさき)大麻ルーテル・北見聖ペテロルーテル教会牧師と齋藤衛(まもる)東京ルーテル・センター教会牧師。礼拝の最初である「招きの部」の後、聖書の御言葉が朗読された。第1の朗読は申命記6章20~25節、第2の朗読はコリントの信徒への手紙1、3章1~2節、そして、マルコによる福音書10章17~22節が読まれ、日本ルーテル教団の清水臣(しん)議長(戸塚ルーテル教会牧師)が「わたしを『善い』と言うのか」と題して説教を語った。
「宗教改革500年という節目の年にこの地上で生をいただいていることに感謝したい。500年を記念することで一番大切なのは、私たちが考えたこと、行ったことを、出会うことのない将来の人たちに伝え続けることではないか。伝えるべき最も大切なことは、目に見えない救いの神の御業と、その神様が救い主であること。教会が伝えるべきものは、ご復活の主イエスだ」
そして、第2朗読の1コリント書から、「主の救いを伝えるために、教会が用いられ、人間を用いられる。見るべきものは人間ではなく、ご復活の主。聞くべき声は人間のものではなく、主の声。どういう状況であれ、主を見て聞く者を、パウロは『霊の人』(Ⅰコリント3:1)だと語っている」
また、マルコ福音書で金持ちの男が「善い先生」(10:17)と言ったことには、「自分だけの先生」という思いが感じられ、「そこには他者が見えてこない」と指摘した。「イエス様は、自分だけ、教会だけのキリストではない。すべてのもののキリストであり、私たちはそのキリストに従う者」と信仰のあり方を問うた。
さらに、礼拝の最初の部分で行った罪の告白、「神様。私たちは思いと言葉、行いと怠り、また無関心によって、あなたから遠く離れ、御旨に背いてきました。今、ここに罪を告白します」という言葉を振り返った上で、「すでに罪を赦(ゆる)された私たちは、思いと言葉と行いとによって、すべてのもののためにキリストを伝え続けることが使命。このことは、今の時代だけではない。まだ見ぬ将来の伝えるべき人のためにも広げていかなければならない」
最後に清水氏は次のように語って説教を締めくくった。「日本ルーテル教団は、秋に新しいルターハウス(教職養成・信徒研修の場としての寮)が与えられる。地域と時代を超えて、伝え続けるための拠点が与えられていることに感謝し、一人一人が伝え続ける者となっていこうではないか」
説教の後、聖餐式が行われた。この日は、日韓宣教協力協定を結んでいる韓国ルーテル教会総会議長の金哲煥(キム・チョルファン)牧師と教会協力局長の李炳昶(イ・ビュンチャン)牧師も配餐補佐として加わった。
礼拝の最後はルター作の「わが神はやぐら」を皆で賛美した。その後、来賓として招待された日本福音ルーテル教会総会議長の立山忠浩牧師(都南教会)があいさつで次のように語った。
「宗教改革の歴史の一面では、教会の分裂も引き起こしてきたのではないか。それは、カトリックとプロテスタントというだけでなく、プロテスタントの中にもいろいろな教派を生んできた。それは素晴らしいことである半面、分裂でもあった。宗教改革から500年たった今、その分裂は過去のものになったことを明らかにすべきだ。われわれは一致していること、交わりを持って建設的な働きをしていることをきちんと発信することが大事ではないか」
日本ルーテル教団ならびに日本福音ルーテル教会は、すでに神学校をはじめ、さまざまなことを合同で行っているが、11月4日(土)には、北海道地区と関東地区で宗教改革500年を覚えての合同記念礼拝を予定している。立山氏は、「これからも皆さんと一番近くの隣人として共に歩み、1つになっていく姿をこの日本に証ししていきたいと思っている」と強い思いを語った。
今回の教団総会では、「キリスト者は祭司であり、すべてのものに仕える僕―私たちの改革、宗教改革500年からの前進」という主題のもと、「受けるよりは、与える方が幸いである」(使徒20:35)の主題聖句を掲げ、仕え合う教職・信徒、教会を目指して歩むこととした。なお、本総会で清水氏が議長に再任され、任期は5月2日より次回総会(2020年)までの3年間とされた。