1990年生まれというから、日本の元号でいうと平成2年。日本福音ルーテル教会初となる平成生まれの牧師が誕生した。中島和喜さん(26)。5日に教職授任按手式を終えたばかりで、4月から北海道教区の札幌教会・恵み野教会に派遣されるフレッシュな牧師に、母校である日本ルーテル神学校(東京都三鷹市)で話を聞いた。
神学校に進んだ経緯は。
父が牧師(日本福音ルーテル市川教会の康文氏)で、中学生の頃から憧れていたので、いずれは自分もその道に進みたいと考えていました。ただ、実習で教会にやって来る神学生は、元教員や定年後献身した方だったので、牧師はいろいろなことを経験した先にあるものかなと。そのため、大学に進学したときは教師を目指していました。
でも教育実習の段階で、「これは自分の進むべき道だろうか」と試行錯誤する中で、父に「牧師になりたい」と打ち明けました。また、「教師になろうと考えていたのは、神学校に行くための学費や生活費を貯めるためだった」とも話すと、「行きたいと思った時に行きなさい」と言われ、それが後押しとなり、大学を卒業してすぐ神学校に入りました。
社会での体験を積まなかったことに問題はなかったですか。
一緒に按手式に臨んだ同級生の奈良部恒平さんから、「君はどこも回り道せずに一直線で来たので、これからよりたくさんの働きができる。うらやましいよ」と言われたんですね。奈良部さんは僕より一回り上で、妻子のある人生の大先輩です。その言葉で、これまでの思い悩みから解放されました。
神学校の学びの中で忘れられない出来事は。
日曜は教会の奉仕、月曜は授業の準備に追われ、火曜から土曜は授業と、休みなしの忙しさです。それに加え、2年生の時には臨床牧会教育という授業があり、特に後期は実際に精神病棟に行き、その人の言葉に傾聴し、痛みに寄り添います。授業本来の目的は、その中で現れてくる自分自身を見つめることなのですが、そこで自分がいかに罪人であるかを思い知らされ、ゆだね切れていない弱さに愕然(がくぜん)とさせられました。そんな中で信仰が揺さぶられ、神学校にいること自体も問い直される経験をしました。
そんな迷いの中で、「神様はあなたを愛している」と教会で口にしている自分に嫌気がさし、もう限界だと思い、「神学校を辞めたい」とある先生に相談しました。すると、「辞めたければ辞めればいい。ただ、忘れないでいてほしいのは、神様はその道を祝福しておられる」と言われたのです。この言葉を聞いて、「ああ、神様が導いてくださるんだ。何とかなる」と思ったんですね。それ以来、どんなことがあっても「何とかなる」でやってきました。
宗教改革500年の年に牧師になったことについて。
ワインにたとえて「2017年産」とからかわれていますが(笑い)、確かに特別だという思いはあります。まず、500周年という節目の中で、「御言葉に立つ」という大切なことをあらためて見つけることができました。これはこの先、自分の力になります。
もう1つは、ルター派として、いかにエキュメニカルな働きに立っていけるかということです。宗教改革400年の時はルーテル教会とカトリックはものすごく険悪な関係で、攻撃や対立の形でしたが、今はむしろ対話が重ねられて、共に歩んでいくという働きが強くなっています。神学的な違いはたくさんあり、教派同士で一致するとなると、とてつもない時間がかかると思いますが、1人の牧師として、いろいろな教派の人と交わることは以前より多くなっています。皆、同じ神様を信じ、「隣人を愛せよ」という言葉をいただいていて、その中に信仰があります。神学はその信仰のまわりに形成されていくものです。たとえ神学で合わない部分があったとしても、信仰が一緒というところでつながれると感じます。
今後の展望は。
遣わされたところで一生懸命働くということです。自分より若い神学生は今年もルーテル神学校にはいないので、少なくとも4年間はルーテル教会では僕が最年少の牧師です。「最年少で平成生まれ」ということが、教会での僕の立ち位置なのかなと。同年代の若い人たちへの伝道や牧会が、1つの大切な与えられた働きかと思います。
今は評価され続ける社会なので、たいていの人は評価を良くするため、取り繕って頑張って疲れている人がたくさんいます。また、自分の言いたいことをうまく発信できずにいる人も大勢います。そういうところにキリストが語り掛け、「何とかなる」と言えるのが御言葉の力なので、それを伝えていきたいと思っています。
具体的にどういう行動を起こしていかれますか。
悩みの中にいる若い人たちが教会に来るのをただ待っているだけでなく、その人たちがいる場所に出掛けていく。それは教会とはまるで関係のない場所かもしれませんが、そうして接していくしかないと今は考えています。キリストは歩いていろいろなところを回っています。パウロをはじめ、他の弟子たちも教会の中にはほとんどいません。行って話し掛けるということがとても大事だと思っています。
先輩たちが支えてきたものを大切にしながら、青年たちの受け皿にもなる。そのような調和が大切だと思います。それこそが若い牧師のやっていくことなのかもしれません。