2人の牧師による異端・カルトについての対談も3回目、最終日を迎えた。1人は純福音成田教会の妹尾光樹(せのお・みつき)牧師。韓国の情報に明るく、信徒や求道者から異端やカルトについての相談を受けることもある。A牧師は10代の頃、ある異端に属した経験があり、この問題について深い理解を持っているが、今回は所属教団での立場上、匿名を条件に対談に応じてくれた。3日目は、本紙が受けているような、無責任に「異端」呼ばわりして排除・差別する風潮について語り合われた。
――カルトかどうか、または異端かどうかも分からないのに、「異端かもしれない」といった目で見たりする風潮についてはどう思われますか。
妹尾:フェイスブックやツイッター、ブログなどの発展は、良い部分もたくさんあると思いますが、良くない部分も多々あります。匿名で書きたいことを書いたり、批判をしたりできる「2ちゃんねる」などの掲示板では、根も葉もないうわさや、人づての悪口や批判が飛び交っています。一度書き込んだものは残り、伝言ゲームのように嘘偽(うそいつわ)りがさらに拡散されています。何が真実なのか、書いているものをそのまま鵜呑(うの)みにしないで、個人でも検証することが必要な時代となりました。多くの場合、うわさにすぎないこともたくさんあります。また、断片的で一方的な見方になっている記事もあります。注意したいですね。
A:私も書かれたことありますよ(笑)。それも根も葉もない嘘でしたが、名指しで書かれたんですよね。よく調べもしないことを作り上げて、あたかもそれが本当かのように書いて、拡散してしまうのですね。
トラウマが人を批判に向かわせている面もあります。「~なんじゃないか」「~かもしれない」といった思考パターンで人を攻撃するということがあるんです。例えば、元異端出身の牧師の中には、そうした過去の経験が対決姿勢を生み出すモチベーションになっている人もいます。「自分が異端にいた時、あいつにあんなことを言われたから許さない」といった思考で攻撃するということが実際にある。でも、そんなことをしていたら、解決にはならない。恨みのスパイラルですよね。カルト対策というのは、恨みではなくて、本当に苦しんでいる人がいたら、「この人を救いたい。幸せになってほしい」という気持ちからなのですよね。権力に対抗するとか、そういうことだけではないということです。
――本紙がカルト団体ではないかという疑惑について、何かご意見があれば、この機会にぜひお伺いしたいのですが。
A:クリスチャントゥデイもいろいろ苦しんできたと思います。「クリスチャントゥデイはあやしい。許せない」と言っている人は、対話をして、何をクリスチャントゥデイに開示をしてほしいのか、何を知りたいのかを話すべきだと思います。「そんなことをしたら対話にならない」とかいろいろな理由をつけて対話を避けている。そして、仮想の敵を作り出している。これは危険ですね。私がクリスチャントゥデイに期待することは、皆さんが知りたいことを「見える化」、公開することです。このことをクリスチャントゥデイが誠実に行ってこそ、相互理解の道が開けるのではないでしょうか。そのことを期待しています。
妹尾:皆、その仮想の敵を作るところで一致するというスケープゴート的風潮は怖いですね。一般の社会でもよくあるこの風潮を、日本のクリスチャンは教会に持ち込んではいけないと思います。例えば「クリスチャントゥデイは異端だ」と言って、よく調べもせず、対話もせず、確認もせずに「そうだよな」「うんうん」と同意するようなことがあるとすれば、これは危険と言わざるを得ないですね。それこそ、サタンの策略ですよ。何が異端で、何がカルトであるのかを明確に検証しなければならない。
A:こういうことをメディアでどんどん出すことができたら、とても良いことだと思うんですよ。
妹尾:そうですね。しかし、日本のキリスト教界の中には、沈黙の支持もあるんですよね。クリスチャントゥデイは、ものすごいアクセス数があると聞いていますよ。表では批判している人も、家ではこっそり見ていたりします。ただ、多くのうわさや批判があって、ご苦労されているとは思います。日本にも、「異端だ」「異端だ」と声を上げるだけでなく、それを良識的に見る機関があれば、もっと健全に歩めるのではないでしょうか。
A:クリスチャントゥデイのどこが黒(明らかなカルト団体)なのかと周りに聞いてみると、クリスチャントゥデイが統一協会と関係があるというのは、もうすでに「玉虫色」のような感じですよね。あるような、ないようなという。今回、私がこのクリスチャントゥデイの事務所に実際に来て、そこで働く皆さんと会うことができたことは大きいと思っています。異端に対する時と同じように、誰か仮想敵を作って無責任に責めるのではなく、愛をもって関わっていく必要があるのではないでしょうか。
――ありがとうございました。