統一協会(統一教会)、エホバの証人、モルモン教など、その教理の違いからキリスト教の「異端」とされてきた団体。一方、十字架の救いを説き、教理に大きな問題がなくても、奉仕や献金を強制したり、牧師が権威的になったりするなど、カルト化していく教会もある。
今回、本紙では、2人の牧師を招き、異端・カルトについての対談をしていただいた。1人は、純福音成田教会(千葉県富里市)の妹尾光樹(せのお・みつき)牧師。韓国の情報に明るく、信徒や求道者から異端やカルトについての相談を受けることもある。A牧師は10代の頃、ある異端に属した経験があり、この問題について深い理解を持っているが、今回は所属教団での立場上、匿名を条件に対談に応じてくれた。
――初めに自己紹介とともに、ご自身と「異端」「カルト」との関係をお話しください。
妹尾:私は純福音東京教会で信仰を持ち、後に献身して牧師になりました。日本フルゴスペル教団傘下の東京や大阪の教会で副牧師をしてから、日本各地3カ所で開拓教会に携わり、韓国のヨイド純福音教会にいた時は、外国人で初めての「教区長」という経験もさせていただきました。現在は成田教会の担任牧師です。
韓国教会はリバイバルと同時に、さまざまな異端やカルトが生まれ、その多くが日本で活動をしています。新しい情報は随時、韓国のキリスト教ニュースや書物を通して知ることができます。信徒の方や教職の先生方から異端についての問い合わせを受けた時には、自分が知っている情報をお伝えするといったことが、異端やカルトについての私の現在の役割でしょうか。
A:私は関東にある教会の牧師をしています。10代の頃、私自身が異端的な団体に所属していました。物理的にそこに通うことができなくなったとき、頼るものがなくなって非常につらい思いをしたのですが、その時に出会ったのが、あるプロテスタントのキリスト教会だったのです。その教会で完全に異端との関わりを断ち切ることができました。そして、後に神学校へ進み、牧師になったわけです。主は私の過去の経験をも用いてくださっていると確信しています。現在は、要望があればセミナーなどを行ったり、相談も受けています。
――異端とカルトは何が違うのでしょうか。
A:まず異端とは、キリスト教の正統的な信条から離れているもの。カルトは、支配を通して不健全な人間関係を形成している団体のことです。このことから、次の4つのグループに分けられます。
- 「異端」でも「カルト」でもない=健全な教会
- 「異端」だが「カルト」ではない=神学的には外れているが、支配的ではない
- 「異端」ではないが「カルト」である=神学的に大きく外れてはいないが、独裁的であったあり、支配力の強い教会
- 「異端」であり「カルト」である=神学的にも外れ、支配的である
現在、日本国内で何が問題かと言えば、3番目の「異端ではないが、カルトである」団体ですね。これは本当に注意していかなければならないと思いますよ。救いによって得られたはずの解放がないわけですから。
――統一協会についてはどうですか。
妹尾:統一協会は、聖書よりも『原理講論』を権威のある言葉とし、イエスの十字架を「神の失敗」としました。そして、救いを完成させ、成就させるのは再臨のキリストである自分(文鮮明)だとしたわけです。これはもうキリスト教を大きく逸脱していますね。日本では、霊感商法や集団結婚式などで社会的に問題のある宗教団体だと認識されていますが、実際に韓国では、統一協会がキリスト教の異端として脅威だという認識は薄いようです。むしろ宗教団体というより経済団体というイメージが強いからです。今は商売になるものは何でもやるといった財団になっていますね。
――統一協会のような異端と向き合っていくには何が必要でしょうか。
A:統一協会や他の異端・カルトといわれる団体は、ある種のアンチ・イデオロギーというか、社会運動のような体質を持っています。しかし、彼らを敵にしてはいけません。本来、敵にすべきは「サタン」であって、サタンに利用されている人たちを敵にしてはいけませんね。彼らには、キリストの愛を伝えることが必要だと思います。よく教会のチラシや看板に「当教会は統一協会やエホバの証人とは一切関係ありません」とバッサリ切り捨てるようなことが書いてあるじゃないですか。しかし、異端で苦しんでいる人からは、「統一協会、エホバの証人でお困りの方はご相談ください」というただし書きのある教会に引かれて心を開くことができたとよく聞きます。サタンに利用されている人たちと敵対したり、対立構造を生んだりしてしまっては、おかしなことになってしまいます。
――先生自身が異端から脱却するにあたっては何が最も大きな要因でしたか。
A:人の心は、北風じゃダメなんですよね。やはり、本当の愛に出会ったことでした。異端に走っている人、その教祖に対しては、「追い出してやったぞ」と豪語するのではなく、彼らの救いのために祈ることが必要なのではないでしょうか。憎むべきは、それを操っているサタンなのですから。