本来、宗教とは、問題を抱え、悩み、苦しみからの救いを求めている人々に対し、それらの困難に打ち勝ち、救いと幸いをもたらすべき役割、立場にあるはずだ。
ところが今日、一部のカルトと呼ばれる反社会的宗教集団の中には、それとは正反対の行動をとって、宗教恐るべし・・・という風潮を現代社会の中に巻き起こしている現実がある。
霊感商法や合同結婚で知られる統一協会や、サリン事件を引き起こしたオウム真理教などはその典型例だが、他に摂理と呼ばれるグループ、またそれらカルト集団ほど組織立った規模には至っていないものの、リーダー牧師によるセクハラなどで問題を起こしているヨハン教会などいろいろある。これらのカルトやカルトまがいの集団は現在、それぞれ名称を変えるなどし、外部からの監督の及ばない単立態勢をもって今も活動している。
統一協会は世界平和統一家庭連合、オウムはひかりの輪、アレフの二派に分かれて活動しており、女性信者たちに対する強姦罪で2009年に韓国の最高裁判所から10年の実刑判決を受けて収監中の鄭明析を教祖とする摂理は、キリスト教福音宣教会と名乗っている。再臨主を自称した統一協会の教祖、文鮮明は2012年に92歳で死亡し、内部分裂を引きずりながらも相変わらず結婚斡旋活動などを通じ、現在も組織拡大に励んでいる。
このようなカルトグループは、自分たちがカルトであるとは思っておらず、また、教祖や組織の起こしてきた反社会的活動に対しても、それらを認めることも、ましてその実態を明らかにすることもしない。それより、むしろ名前を伏せたり、変えたり、またはかつての過激さに手加減を加えたりしながら、こうした現実を知らぬ人々、特に若い世代や身寄りのない高齢者を巻き込んでいるという現象が現在も続いている。
こうした問題に対し、誰がどのように向き合うべきかを考えるとき、キリスト者、キリスト教会の果たすべき責任、役割は大きいと言わざるを得ない。30年以上、こうした異常宗教問題に関わってきて思うことは、一部の牧師、教職者などがボランティア態勢で被害者相談に当たってきたものの、キリスト教会としての組織的、積極的な取り組みはあまり見られなかったということである。
また被害者救済の行動も見られたが、中には一部、高圧的、強行的な取り組みなどもあって、結果的にはカルト側からの反撃や嫌がらせに口実を与えてしまったり、一般社会には触らぬ神に祟りなしといった宗教そのものへの警戒感を呼び起こしたりしている例もある。
それ故、キリスト教界においては、このような問題の取り組み方について考察すべき課題は大きいと思われる。
いわゆるカルト集団に取り込まれた人々に向き合う上で最も大切で基本的なことは、取り組む側の姿勢、在り方である。
私はこうした問題に取り組む中で「エクレシア会」なる組織を立ち上げ、36年たった現在でも持ち込まれてくる問題に追われているのが現状である。メーンの相談内容はカルトに取り込まれた家族を救出してほしいといったものであるが、その際、相談依頼者に次のようなことを守ってくださるようお願いすることにしている。
「(当人の)当該宗教団体への入信動機を十分理解し、全てに反対するのではなく、良い点は認め、理解しようという姿勢を持ち、誠実な態度で問題に接し、人権は厳守すること」
こうした約束事を踏まえて問題に取り組み、比較的短期間に解決に至ったケースは多くあるが、そうでない場合も少なくない。一番の理由は、取り組み(当人に対面し、救出のための具体的活動に当たること)自体に至らない場合が多いことだ。
相談依頼者と当人の間の信頼関係が損なわれているために、取り組みの段階まで事を進めることができないのである。そのため、問題解決には年単位の時間がかかることが多い。
カルトへの取り組みについて、その詳細をこの欄で述べきれるものではないが、第一に思うことは、カルトに関する情報をできるだけ世間に公開しておくことが大切だということである。
理由は、信者になってしまった人々は、自分が誘われている組織が危険なカルト集団であるかないかについて、ほとんど知らなかったという事実である。もし彼らが事前にカルトについての情報を少しでも持っていたら、取り込まれることはなかったということは明らかに言える。
そういう点から考えるとき、こうしたメディアの存在、役割は非常に大きい。それはカルト側も良く承知しており、時として一般メディアを利用して勢力拡大を図ることもある。
最近でもある民放TV局に自分たちの存在を露出させ、かつてのような問題(霊感商法など)からは遠ざかっており、むしろ世界や社会に大きな貢献を目指している・・・といった宣伝まがいの報道もあった。
このクリスチャントゥデイも、一時統一協会との関連が取りざたされていたことがあったが、統一協会側との関連の有無については裁判で決着を付けるまでに向き合った姿勢、また判決後、被告側に示した姿勢には、好むと否とにかかわらず、関係者には学ぶべき点があると思われる。一方、カルトとの関連については、疑惑を持たれるようなことのないよう常に注意も必要である。
そうした堅実な姿勢を踏まえた上で、こうしたネットメディアがカルトの危険性、問題性を常に世界に発信しているならば、被害者予防だけでなく、すでにカルトに取り込まれてしまっている内部信者たちにも、大きな気付きを与え、多くの人々に良き貢献をなすことになると思う。
それはとりもなおさず、本紙の基本信条としている「一般クリスチャン大衆に向けての公正かつ迅速な情報提供」を越えて、さらに一般大衆への実践的福音サービスとなるだろう。
(文:エクレシア会・和賀真也)