[神・信仰]
言葉と罪の関係
人の言ったひと言で、十数年も苦しんでいる人がいます。また、自殺しようとしていた人が「あなたは神に愛されています」と聞かされて思いとどまり、自分の苦しい体験を通して人助けをしている人もいます。
人間がまだ罪を犯す前は、互いの言葉による傷つけ合いはありませんでした。言葉を正しく用い、理解し、駆け引きもありませんでした。人間が神との約束を破り、罪を犯してから、言葉の使い方が乱れてしまったのです。
人間の心に罪が入ってからうそが始まり、それによって互いの言葉によって傷つくようになったのです。罪を認め、悔い改めたクリスチャンは、神の十字架によって罪が赦(ゆる)されたので、もはや古い自分の考え方から解放されたのです。ですから、もう相手の言葉で傷つかなくてよいのです。
神は何のために言葉を作られたのでしょう? それは、互いに正しく心を伝え、理解を深め、慰め、励まし、癒やし、いたわり、元気づけるためであって、傷つけ合ったり、苦しめ合ったりするためではないのです。クリスチャンはすべてに勝利された神を信頼することで、人の言葉による苦しみから守られているのです。
絵に描いたピストルで人が殺せないように、人の言葉で人は傷つかないのです。それはあなたの考え方次第なのです。愛の下地ができてから、本当の奉仕がやれるのです。あなたが神に従う心の準備ができたとき、神はあなたをサタンと戦えるチームに加えるのです。
人は互いに影響し合っています。心に駆け引きがあるうちは、素直になれないのが人間なのです。
相手が言った言葉で人は傷つきます。なぜでしょうか? ショックを受けるからです。まさかそんなことを言われると思っていなかったからです。でも、よく考えてみると、必ずしも相手1人の思いで言ったのではないことに気付くでしょう。
相手が言ったのではなく、あなたがそう言わせたのです。知らないうちにそうしむけたのです。そのように考えるべきです。
人はそれぞれ相手によって考え方、話し方、答え方、接し方が違います。従って、あなたに対してそのように話すのは、「あなたが相手にそのように思われている」「そのように答えさせている」「そのように言わせている」ことになるのです。
相手の言葉には、過去にあなたが相手にどのように関わってきたかが表れます。
相手に言われたことで落ち込む必要はないのです。大切なのは、これからそのように言われないために、あなたが相手にどう接するかです。それに気付くことが、言葉の苦しみから自分を救う一番良い方法なのです。
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