[神・信仰]
愛と知恵を人生の柱とする
苦も楽も、あなたの考え方があなたの人生を決めます。時には、頭が良すぎるために神に頼ることもせず、考え過ぎてその結果、自分で自分を苦しめてしまうようなことがよくあります。本来、神の子であるクリスチャンは、全ての悩み、不安から一切解放されているはずです。従って、悩むのは神から出ているのではなく、あなた自身が自由意思で行う行為といえます。
神の御心としては、人間が悩むことより元気になることのほうが正しいのです。神と良い信頼関係を作るためにも、考え方を改めることが大切です。人間が生まれ変わるとは、今までの考え方、見方、話し方から、神の視点に立っての考え方、見方、話し方になることです。目の前のことに左右されることなく、心を神に向けて生きる生活のほうが、平安が大きいのです。委ねるのです。
自分の計画をいったん主に明け渡すのです。悩み、苦しみ、悲しみ、痛み、不安、不満、怒り、むなしさ、許せない心、謝ってほしい心、これらの心は全て神がご存じです。このような気持ちを長く持ち続けることは、神に対する信頼が小さいことを意味します。なぜなら、これらの思いは神が望まれないことだからです。
神が私たちに望むのは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16~18)ということです。これが神の御心であり、神の愛の教えなのです。
なぜ、あの人はそのようにいつも考えられるのか? 平安でいられるのか? それは神の助け、聖霊の導き、天の父の恵みがあるからです。頼るべきものは自分ではなく、自分を造られた神に頼ることが正しい選択です。
価値観が変わらなければ考えは変わらないし、命が変わらなければ苦しみのパターンも変わらないのです。また、逆も言えます。パウロいわく、「私はキリストのゆえに、(得であったこのようなものをみな)損と思うようになりました」(ピリピ3:7)。この問題で苦しむ価値があるかないかは、聖書に答えを見つけることがよいでしょう。
相手の言葉の中から悟る相手の本音。自分に対して相手の言葉がきつければきついほど、知らず知らずのうちに相手にもきつい言葉や態度で話していることになります。それならむしろ、相手のきつい言葉に傷つくのではなく、いかに自分がそれに気付き、話し方の内容に注意すべきかのレッスンと考えるべきでしょう。
これは複雑な問題に関わるときほど、多く体験します。心病んでいる人ほど被害者意識が強く、ちょっとした言葉でも傷つきやすいのです。すぐに怒ったり、イライラしたり、悲しんだり、不安定な心になるのは、それまでに心の中に大きな痛み、傷があるせいです。必ずしも今言っていることにだけ人の心は反応するのではなく、過去のつらい思い出までが今も自分を苦しめるのです。
相手から傷つけられた言葉、一番許せない言葉、いつも思い出しては苦しくなる言葉を書き出してみましょう。もしかしたら、自分もそれだけ相手に同じ苦しみを与えたことがあるかもしれません。もちろんこの際、人間の常識の範囲でないことは言うまでもありません。なぜなら、人間の心はとても複雑で、神のみが扱える領域だからです。
人間の浅はかな考えで人の心を全て知ることなどできないし、その時々によって変わることをあなたも知っているからです。人の心ほど変わりやすいものはないし、ましてや自分で自分をコントロールできないのに他人の心を変えるなどもってのほかです。
本当に相手の苦しみを理解できる人は、神の御心を素直に受け入れられる人です。神の心は、人間の考えをはるかに超えています。他人の苦しみも分からない人間には、到底理解できません。アブラハムにイサクをささげなさいと言われた神の心を誰が理解できましょう。全てにおいて、悩みの中心が自分のためかどうかを常に正していれば、その苦労は無駄ではないはずです。
人生はどこからでもやり直せます。しかし、過去を引きずったままではやり直せません。過去にとらわれているうちは、新しいスタートはないのです。失敗を反省して栄養剤とするか、くよくよしていつまでも悩むか――それはあなた次第なのです。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5、6)
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