標高1800メートル。日本に4600ある温泉の中で、規模の大きなものとしては最も高いところにある万座温泉(群馬県嬬恋=つまごい=村)。硫黄の香りが漂う乳白色の湯は万病に効果があるという。そこで明治時代から多くの人たちの心と体を癒やしてきたのが日進舘だ。
リピーター率80パーセント。温泉ファンだけでなくメディアからも絶賛される同ホテルの6代目当主で、シンガーソングライターとしての顔も持つ泉堅さんにお話を聞いた。
同ホテルでは、毎晩8時から本館2階のフロント前ロビーで歌と話のライブショーを毎晩開催している。「雲上のエンターテイメント」と銘打つこのショーでは、日替わりでクラシック、ジャズ、ポップス、ゴスペル、歌謡曲、腹話術、ハワイアンダンスなどが披露される。中でも一番人気は泉さんによるワンマン・メッセージショーだ。
真っ白なスーツ姿の泉さんが現れ、シューベルトの「アベ・マリア」を歌う。続いて自身が作詞作曲した「大切なあなただから」を歌い出すと、会場はすっかり泉堅ワールドに。
「愛といのちと平和」をテーマにした歌の合間に、夫婦愛、家族愛、人生、平和についてメッセージを語る。上品な語り口でありがなら、時にはジョークを飛ばし、時には力を込めて語る。
このライブショーは、当初、同ホテルで働く外国人研修生のホームシックを自国の音楽や踊りによって和らげるために始められた。その後、お客さんへのサービスとして行うようになったが、若い外国人のパフォーマンスだけでは受け入れられない。そこで客席からの要望に応えて、泉さんが歌謡曲や演歌などを披露したのだ。
すると、泉さんの歌を聞いた徳間ジャパンコミュニケーションズの人からスカウトの声が掛かり、全国デビューを果たすことになる。48歳の遅咲きのデビューだ。その後は、同ホテル代表取締役会長との2足のわらじで、「泉堅」の芸名で活動を続けることになった。「泉」は、万座温泉の「いのち」である泉からとった。
「僕はずっと放蕩(ほうとう)息子でした」という泉さんがクリスチャンになったのは19歳の時。当時、東京の大学に通っていたが、難病の線維筋痛症を発症し、全身を針でグサグサ刺されるような激痛に襲われた。この病気の症状はレベル1から10まであるが、泉さんはレベル10だったという。治療法がなく、地獄の苦しみの中、万策尽きて自殺しようとした時に、大学の親友がイエス・キリストの話をした。聖書の「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」(マタイ21:22)という御言葉に泉さんの目が留まったという。
「この言葉にしがみつき、毎日懸命に祈りました。その結果、6カ月後、激痛から解放され、完全に癒やされました。祈る力のすごさ、祈りの力を体験し、根本的な癒やしは医者ではなく神にあることを知りました」
泉さんはそれから、奥多摩福音の家で行われた国際ナビゲーターの秋のカンファレンスでキリストを信じた。その後、国際ナビゲーターのスタッフと共にキャンパス伝道に没頭する。「伝道が楽しくて仕方なかった」と泉さんは当時を振り返る。
大学4年の時、父親から戻ってくるようにと言われ、泉さんは大学を中退し、同ホテルの支配人に就任した。しかし、いつかは伝道者になりたいと思っていた泉さんは、25歳でホテルを飛び出し、静岡大学で半年間、伝道活動をしていた。しかし、その時に転機が訪れる。
「海辺に1人で立っていると、『あなたの使命は万座にある』という声を聞いたのです。静岡と思っていた私に、万座であることを神ははっきり示されました」
泉さんは再び万座に戻り、同ホテルで常務、専務を経て、会長に就任する。その頃の世の中はバブル経済真っただ中。40歳の泉さんも東京に進出し、株式投資、不動産投資に明け暮れ、毎晩のように新宿、赤坂、六本木を飲み歩いたという。しかし、そのような生活の中でも聖書だけは読み続けた。読まないと「あの激痛」にまた襲われると思っていたからだ。
こういった生活が53歳まで続いたが、ある日、「フロアショーを伝道の武器にせよ」という神の命令を受けたという。そして、この体験を機に、伝道の場を同ホテルと定め、自ら神の愛を伝えるメッセージショーを本格化させることになったのだ。
今年でそのショー活動は24年になるが、当初は知恵も経験も不足していたため、やり方がストレートすぎた。神学校で学んだようなことをメッセージしても伝わるわけがなく、クレームの山になった。「客に説教するとは何事か」「旅館をつぶすな」「土下座しろ」と責められ、「腹切れ」とまで言われた。新興宗教と思われるグループから野次られてショーができなくなったことや、途中で声が出なくなったこともあった。さまざまな試練を通して今日がある。
「ずっとたたかれて闘ってきました。この24年間で日本の大型温泉旅館はほとんど倒産しましたが、日進舘はシーズンを問わず、連日ほぼ満室です。これは神の奇跡。主のために働く者の特権です。繁栄は西から来ません。東からも来ません。神から来ます」
当時、怒鳴りつけた宿泊客たちも、その後リピーターになり、泉さんのメッセージに耳を傾けるようになったという。その軽妙でありつつ心温まるトークの秘訣は何だろうか。
「同じ話でも、信仰がない人が語ると、しらけて、話が腐り、サタンの餌食になります。神の力と権威と知恵がメッセージを構成します」
多くのリピーターを生み出す人気の秘密は?
「人気ではなく『神気』です。人気に立つと、本人も聞いている人も死にます。命がないからです。神気・・・神の命は永遠です」
また泉さんは、「日進舘は旅館ではなく命の宮、すなわち教会」と断言する。「毎日300〜500人、年間13万人以上のお客様が、日進舘と称する教会へ宿泊費と称する献金を携えて、全国から足を運んでくださる。私たちは13万人のノンクリスチャンに伝道することを使命としています」
それは思いだけでなく、実際に形になっている。本館にあるホールを「シオンの泉」と名付け、毎週、チャペルタイムを開いている。そこには、さまざまな牧師やゴスペルシンガー、クリスチャンアーティストが全国から馳せ参じる。泉さんも本名の「黒岩堅一」会長として、毎週の日曜礼拝のメッセージを取り次いでいる。
「温泉は、病を癒やしません。まことの癒やし主は、病を癒やす温泉を作った神です。その癒やしを通して救われるお客様がいます。また、私のショーをご覧になって救われるお客様もいます。温泉で洗礼を受けたお客様もいます」
毎日、千項目の祈りの課題を祈っているという泉さん。「ビジョンは祈りから来ます。マルティン・ルターは『祈りはキリスト者の職業である』と言いました。教会から一歩外に踏み出すと、そこはノンクリスチャンの山また山です。私は毎月、東京・銀座のマリオン前でギターを抱えて叫んでいます。同行者はトラクト配布。万座と銀座は(「座」つながりで)兄弟姉妹。万座をシオンに、銀座をエルサレムにするのが私のビジョン。万座の温泉はベテスダの池、シロアムの池です」と力を込める。
最後に、神への感謝の思いを込めて泉さんは次のように語った。
「『大胆に罪を犯せ、しかるのち大胆に悔い改めよ』とルターは言いました。人の力で大胆に罪を犯すことはできません。サタンの誘惑と試練は必ず来ます。人は弱さ、愚かさ、醜さに負けるのです。涙を流し、血を流し、地獄に落ちて成長するのです。パウロは自分を『罪人のかしら』と言いました。罪の大きさは、悔い改めて、愛の大きさに成長することでしょう」