自分の仕事を通じて人を幸せにすることを夢に抱き、累積赤字を5年で解消させ、その後50年にわたって黒字経営を続けてきた大阪の老舗企業・株式会社山田硝子店相談役の山田晶一氏。同書は、著者である山田氏が経営再建に至るまでの道筋と、自らの経営について語る、愛と人間尊重の経営哲学書だ。
社員110人、年商30億の山田硝子店は、日本で最も高い超高層ビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)の内装ガラス工事を全て請け負うなど、業界屈指の優良企業として知られる。しかし、山田氏が1961年、父である初代社長の急死により、弱冠23歳でその跡を引き継いだときの同社は、まさに「言葉をなくすような惨状」だったという。
身内重役の乱脈経営により、負債は約4800万円(現在の価値で10億円ほど)に膨れ上がっており、荒廃した経営で社員の士気やモラルは著しく低下し、資材の横流しなどの不正がまん延。さらに、身内の1人が、大きな取引先を全て抱えて独立するといった裏切り行為が発覚する。経営の「け」の字も知らず、社会経験ゼロのまま社長となった青年・山田氏を待ち受けていたのは、マチキンからの激しい借金の追い立てと、身内の裏切り、そして心が乱れ切った社員たちだった。
心身ともに疲れ果てた山田氏は、この惨状から逃れるために自殺を選ぶが、幸いにも助けられ、一命をとりとめる。そして、この自殺未遂は、山田氏にとって大きなターンニングポイントとなった。「死ぬことさえ許してもらえなかった」という絶望感は、次第に「充実感のある勇気」へと変わっていき、それが「いったん捨てた命。これからは自分を、自己愛を、エゴを捨てて、他人への愛に生きよう」というはっきりした意思となっていった。
この意思は、これまでの父親の代から続いた老舗としてのプライドと、つまらぬ自尊心を捨てさせ、会社再建の奇跡を呼ぶことになる。業界大手のセントラル硝子の援助を受け、それと同時に、学生時代に傾倒していたトルストイの考えに基づいた「愛と人間尊重の経営哲学」を実践する。その中で行われたのは、決算書の公開、社員や社会的弱者への利益還元など、合理化や利益追求とは真逆のものだった。特に再建中でありながら、社会弱者への利益還元を実践してきたことには驚きだ。
「借金返済」と「利益還元」の2本立てで再建を成功させた山田氏は、経営は「人間尊重が第一」であることを強調する。それは、自らの経営に直接関わる社員、取引先だけでなく、全ての人間を対象にしている。「自分の仕事を通じて、人を幸せにする」、絶望から生まれたその思いは、まさに山田氏の経営ロマンだ。また同時に、「この世に不幸な人間がいる限り、自分は幸福にはなれない」というロシアの文豪ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の台詞を思い起こさせる。
山田氏は、ロシア文学、特にトルストイから絶大な影響を受けており、トルストイの幸福観を一言で表した「人生において、ただ1つ疑うことのできぬ幸福は、他人のために生きることである」は、人生観であり、仕事観となっている。山田氏は、プロテスタントのキリスト者だが、最近の他紙でのインタビューによると、受洗を受けたのは、再建後かなりたってからのようだ。それでも、当時の会社の再建計画はキリスト教精神に満ちており、トルストイを通してすでにこの時から神に出会っていたのだと感じる。
また、好きな聖句として、「あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人のためにも働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与えるほうが、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」(使徒行伝20:34、35)を紹介している。
「この聖句には、宗教的に考えなくても、働くことの意義や理念がよく表れている」と述べ、「ここで山田硝子がつぶれては、我々の支援を待っている人たちが困る」と思えば力が湧いてくると同書の中で語る。山田氏のすごさは、生きがいと働きがいを統一させていることだ。その中で、「人間尊重」の経営理念をぶれることなく守り続け、50年にわたって黒字経営を続けてきたのだ。そして、この愛に満ちた経営哲学を生み出したのは、トルストイを通して出会った神の導きと、神への深い信頼であることに間違いない。
山田晶一『一度死んだと思えば、何でもできる! 愛と人間尊重の経営哲学』2016年9月27日初版、PHP研究所、定価1400円(税別)