本書は、2005年6月に80歳で亡くなった「クロネコヤマト宅急便」の生みの親であり、クリスチャン経営者として知られる小倉昌男の評伝だ。ただし、小倉が日本に残した最も大きな功績であるビジネスについてはほとんど書かれていない。著者である森健氏がテーマとしたのは、なぜ小倉昌男は私財を障がい者福祉につぎ込んだのかという「謎」だ。
家庭から小荷物を送るには郵便小包しかなかった時代、宅配便市場を切り開いて「伝説の経営者」としてたたえられ、後年は障がい者福祉に多大な貢献をした小倉昌男。既出の書籍や資料からは、ビジネスの戦略家、大組織の長、福祉への多大な貢献者、またクリスチャンとして、どこの角度から見ても素晴らしい人物だと想起できる小倉だが、森氏にとっては、どうしても奇異に思える部分があった。
その1つが、小倉が退任後に42億円もの私財を投じて、障がい者の自立支援のためにヤマト福祉財団を設立したことだ。小倉はその理由について「はっきりした動機はない」と述べている。しかし森氏は、障がい者福祉の世界に寄付することは歓迎こそすれ、問われるべきことではないとしながらも、その額の大きさに「はっきりした動機がない」というのは不思議に思えたという。
また、小倉の人物評において、外部からの人物評と小倉の自分自身への評価にはかなりのギャップがあることも奇異に思えた。経済界では「名経営者」という代名詞のほか、官庁との規制と闘い、行政訴訟も辞さなかった「闘士」というイメージがあるが、小倉自身は「私は気が弱い」と言い、実際会ったときの印象も「闘士」といった表現からはほど遠い印象であったという。
さらに、最晩年の行動だ。癌(がん)を患いながら、80歳という高齢で米国まで行き、ロサンゼルスの長女宅で死去した小倉の行動にも疑問を覚えた。こういった疑問を抱えた森氏は、「本当の小倉昌男」を知るための取材の旅を始める。徐々に明かされる謎。さながらミステリー小説のようでもあり、「ここまで他人の家庭のことに踏み込んでいいのだろうか」という時には罪悪感を持ちながらも、最後までページをめくる手を止めることができなかった。
宅配便の事業で大きな成功を収めながらも、家庭では、妻の病気や死、娘の病気など苦悩続きで、かなりセンシティブな話にも触れ、「幸福な家庭は似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というトルストイの『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭の台詞を思い起こさせるほど、暗鬱(あんうつ)たる家庭生活にはらはらさせられる。
しかし、程度の差こそあれ、これはどこの家庭でも起き得る問題ではないだろうか。仕事が忙しいあまり家庭を顧みることができず、その間に家族の絆が崩れていき、それに対してオロオロするだけで何もできない優しすぎる父親。不器用な父親像――それが小倉昌男だったのではないだろうかと思わずにはいられない。
また、小倉を取り巻く4人の女性の存在も興味深い。1人は、小倉がクリスチャンになるきっかけを与えた女性。それに、妻の玲子と娘の真理。そして亡くなるまでの5年の間そばにいた久子だ。本書の中で小倉について「よく考えると女性で苦労しているんです」と語られていることにもうなずけるが、小倉はこの4人の女性から動的な影響を受け、じっと我慢して愛情を注ぎ続けていたという感じなのだ。しかし、注がれた愛情は無駄にならず、大きな花を咲かせていることが、小倉の心を最も痛めた娘真理のその後の姿からうかがえる。
森氏が娘真理にインタビューをしたときに、真理が小倉のことを語った言葉が感動的だ。「自分でよく語っていたのは、『イエズスがみんなの罪を救うために十字架にかかってくれたんだから』という言葉。実際、父の視点というのは、必ず弱いものに引かれていました。強いものにはいかない。・・・それは自分が弱き者という自覚があったのかもしれない」と述べるのだが、どれだけ小倉が真理のために祈っていたか、ここで明らかになる。さらに、小倉が注いだ愛情は、真理に「神の召し」を気付かせる。
ジャーナリストである森氏は、小倉が福祉活動に多額の私財を投じたことへの「モヤモヤ」から始まり、人間の行動には何からの「理由」が必ずあることを信じて取材を進めている。もし、森氏がクリスチャンであれば、その理由を小倉の信仰に求めるかもしれない。しかし森氏は、神様が小倉に与えた最も小さい社会である「家庭」にその理由を見いだすことになる。
そのヒントとなったのが、小倉が60歳を過ぎてから始めた俳句だった。その時々の思いを、俳句の中に忍ばせていたのだ。そのことに気付いた森氏は、本書の中で効果的にそれらの俳句を使い、小倉の思いを語らせている。それと同時に、取材を進める中で、クリスチャンとして祈る小倉の姿も見いだしている。
小倉が生前にヤマト財団の職員から、神の存在を信じる根拠は何かと尋ねられたときに「例えば人間。この人間である自分の心身をつぶさに見るといい。こんな精緻きわまりない創造物を誰が創り得る? 神以外ないではないか。神の存在を信じるゆえんだよ」と答えている。キリスト教精神に基づく考えや日々の祈りは、小倉にとって欠かせない支柱となっていたことを物語る言葉だ。
本書は第22回小学館ノンフィクション大賞受賞作。同賞の歴史上初めて選考委員が全て満点をつけ、満場一致で大賞となった作品である。
森健著『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』2016年1月30日初版、小学館、定価1600円(税別)