人生の中で失敗しても、本当にやり直せるのだろうか? 特にその失敗が、「前科者」というレッテルが貼られてしまうような犯罪だとしたら?
「私は前科三犯、延べ約20年間を刑務所の中で過ごしてきた人間です」という告白で始まる本書は、元受刑者の社会復帰を支援するNPO法人「マザーハウス」代表の著者が、自身の半生をつづったもの。3度目の逮捕で留置場に勾留されていたとき、後から入ってきた日系ブラジル人との出会いを通して聖書を知り、イエス・キリストに出会ったことで、その後の人生が大きく変えられた。その回心と償い、そして再生と希望の物語だ。
誰かに「出会う」ことは、誰かと「つながる」ことだ。しかし、複雑な家庭環境の中で育った著者は、幼い頃から母親の愛情を感じることができず、「自分は邪魔な存在なんだ」という自己否定の思い込みから抜けられなくなった。誰かと出会っても「ぶつかる」だけで、誰とも「つながる」ことができないまま、初犯、再犯、そして3度目の逮捕・留置へと追い込まれる。
自分の鬱憤(うっぷん)を晴らすために犯す犯罪は、著者にとってはゲームのようなものだったのかもしれない。しかし、3度目の逮捕の時、それまで疎遠になっていた母親や妹に、これまでの犯罪も併せて知らされてしまう。その時に、「お兄さんのおかげで私はめちゃくちゃになった」と妹に言われたことで、初めて自分の犯してきたことがどれだけ人を傷つけ、苦しめているかに気付いたという。これまで自分のことしか見えなかった著者の心に、悔恨の思いが湧き起こった瞬間だった。
「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません」(詩編51:19)の通り、神は、著者の悔いた心を喜んで「出会い」を準備された。良い出会いの背後には、必ず、神の愛が働いている。
刑務所の中で聖書を知り、イエス・キリストに出会い、生まれて初めて心から謝罪の気持ちがあふれた著者は、自分の罪と向き合い、「生き直したい」と真剣に願うようになる。そこで出会ったのが、マザー・テレサだ。著者は、マザー・テレサを自身の「信仰の母」と呼び、その後の人生の道しるべとしている。「マザーハウス」を立ち上げたのも、彼女の影響だ。
本書の後半では、マザーハウスの働きや元受刑者の現状、再犯の問題について書いている。著者は、口では元受刑者を理解しているようなことを言いながら、陰で差別するのは、全ての犯罪者を死刑にして、二度と社会に出さないようにすべきだと言うより冷たいことだと、鋭く指摘する。
敬愛するマザー・テレサが奉仕活動を行ったカルカッタ(コルカタ)と、自分のいた刑務所を重ねる著者は、誰からも愛されない受刑者や元受刑者を支え、再犯をなくす活動に全てをささげている。
再犯を減らすことができる方法は、社会の「受け入れ」だと、著者は力を込める。幼い子どもの父親である著者は、「自分たち元受刑者が社会に受け入れられない限り、自分の息子も受け入れない」と訴える。元受刑者たちの「受け入れ」について、これまでどれだけ真剣に考えていただろうか。胸を刺される思いだ。
本書で著者は、「やってしまったことは元には戻せません。でもそこで、ゆるしてくれる人、ゆるしの場所があれば、立ち直っていくことができます」と証しする。「ゆるす」ことは、甘やかすことではない。愛することだ。ダメなことはダメだと、その人のために言える勇気を持つことなのだ。著者は、そんな出会いをつかみ取ってきた。まるで、ペヌエル(ヤボクの渡し)で格闘し、祝福をつかみ取ったヤコブのように。
人生の中で、どんな失敗をしたとしてもやり直すことはできる。しかし、それは自分1人の力ではできない。――これが冒頭の答えだ。
人生を変えるには、自分を愛してくれる人、無条件で受け入れてくれる人が必要だ。クリスチャンは、誰もが闇の中から光の中に引き上げられた経験を持っている。そして、それが誰によってだったかも知っている。
著者の「おやじ」であり、永久身元引受人である弁護士の佐々木満男さんが述べるように、「人はまさに、キリストに出会うために生まれた」。先に最高の出会いを経験した全てのクリスチャンは、このことを伝える責任がある。
元受刑者への風当たりの強さは、教会でも例外ではないらしい。しかし、それでも神の祝福を信じ、御言葉を宣べ伝え続ける著者は、人生に絶望している人や孤独の中にいる人に、今日も光を届けている。本書につづられた著者の半生に、多くのクリスチャンが励まされることだろう。
五十嵐弘志著『人生を変える出会いの力』2月19日初版、ドン・ボスコ社、定価800円(税別)