「現代人のメンタルを救うのは誰か─医療、経済、宗教を考える」というテーマで17日、キリスト教カウセリング研究講演会(主催:聖学院大学総合研究所)が開催された。講師は精神科医の香山リカ氏。精神病理学を専門とし、豊富な臨床経験を生かして、現代人の心の問題を中心に、さまざまなメディアで発言を続ける。日本印刷会館(東京都中央区)の会場に集まった約90人を前に、人間が人間をケアするとはどういうことかについて語った。
香山氏は子どもの頃、日曜学校に通っていたものの、中学生になって教会を離れたという。その後、大人になってから再び教会に行き始めたが、今度は素直に洗礼を受けることができず、自分は「万年求道者」だと笑う。そして、「今日は自分にとってキリスト教とどう向き合っていくかを考える意味でも大切な時間になると思う」と話した。
まず、6年前の東日本大震災を振り返り、愛する人を喪失したその悲しみの中で、宗教の有無にかかわらず、多くの人が祈りを唱えることを求めていたと香山氏は言う。そして、「私たちは人の悲しみに対して何ができるのか」と問い掛け、「悲しみとは何か」について先行研究を紹介しながら分かりやすく説明した。
小此木啓吾著『対象喪失―悲しむということ』(中公新書)によると、日頃馴れ親しんだ対象を失ったとき、人の心では「対象喪失」が引き起こされる。そして、その悲しみにどう耐えるかは、人間にとって永遠の課題だという。人間は、悲しみがあまりに大きいと心のバランスを崩し、自殺という最悪の事態を招くこともあるが、その一方で人間には「立ち直る力=『モーニング・ワーク(喪の仕事)』」も備わっていると話した。
ジョン・ボルビーの「悲哀の四段階論」やエリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容段階論」でも説明されているように、モーニング・ワークは誰の心にもあるプログラムで、人間が段階を経て、最後には喪失や死を受容し、人生を立て直し始める。そして、このプログラムが円滑に進むように手伝うのが精神科医の仕事であるという。
ただ、その理論の背景にはキリスト教的な死生観があり、日本では少し事情が違うと香山氏は指摘する。矢作直樹著『人は死なない』(バジリコ)やエベン・アレグザンダー著『プルーフ・オブ・ヘヴン』(早川書房)などから、「キリスト教信者でなくても、天国を漠然と信じて、喪失の悲しみを癒やしている。祈りや天国を求めている人は確実にいる」としながらも、「日本人は宗教は忌避する傾向にあり、『お迎え』くらいのあいまいな死後の世界観を漠然と持っている。こういう現状の中で精神科医は何ができるだろうか」と問い掛けた。
阪神淡路大震災で子どもと死別した34人の母親の声をまとめた高木慶子著『喪失体験と悲嘆』(医学書院)を読んだとき、香山氏は愕然(がくぜん)としたという。周囲の人からしてほしくなかったことの1つとして「専門家の押し付けがましい介入」とあり、また、してほしかったことには「そっとしておいてほしい」を筆頭に、どこにも「専門家を必要としている」という答えは見つからなかったと話す。
香山氏は、「これはうつ病など、心の病でも同様ではないか」と自問する。例えば、米国の9・11において、ケアを受けた方がPTSD(心的外傷後ストレス障害)状態に陥っている人が多いとその後の追跡調査で分かったという。さらに、東日本大震災で使われた、心に傷を負った人への支援マニュアル『サイコロジカル・ファーストエイド』(兵庫県こころのケアセンター)を読むと、「何もしないこと」が一番のようにも感じられるとも。香山氏自身、診察室で「この人に何ができるのか」「役に立っているのか」と、精神科医として無力感に苛まれることがあると率直に語った。
また現代は、祈りや天国を求めつつも、宗教にはアレルギーを持つ人が多く、そのためにおかしな現象が起きていると話す。その1つが「マインドフルネス」だ。これは、「今この瞬間、自分が体験していることに意識を向ける」という一種の瞑想法で、ストレス、悩み事、病気に対応する手助けとして用いられ、グーグル社員の間で実践されていることから評判になった。
「マインドフルネスのような脱宗教化された癒やし、能力開発、ヒーリングやコーチングといった技術が本当に正しいのだろうか。宗教ではなく科学と言っていることが、その人にとって正しいサポートケアになっているのだろうか。本来は他者のための祈りであるものが、今は経済市場の中でお金儲けのために使われている」と香山氏は厳しく指摘する。
「科学の発展がいろいろな問題を生んでいる。遺伝子研究の発展によってさまざまなことが可能になった今だからこそ、哲学や倫理が必要だ。科学という人間の力によって全ての領域に踏み込むことは人間の傲慢(ごうまん)であり、不可侵な領域を見極めるべき」と語り、「誰にでも悲しみを乗り越える力があるにしても、神の存在を度外視できるのだろうか。医学者、科学者であるからこそ、人間が踏み込めない領域があると弁(わきま)えることが大切なのではないか」と結んだ。
講演会に参加した30代の臨床心理士の女性は、「社会とメンタルヘルスを考える上で広い視野を与えられ、勉強になった。また、宗教と理論の狭間といった話も聞けてとてもよかった」と感想を語った。